September 1592000

 老人の日喪服作らむと妻が言へり

                           草間時彦

じめは「としよりの日」だった。1951年(昭和26年制定)。それが1964年(昭和39年)に「老人の日」と変わり、その二年後には現在の「敬老の日」となる。かくして戦後の「としより」は、国家から三段階で祭り上げられてきたわけだ、言葉の上だけで……。掲句は、たった二度しかなかった珍重すべき「老人の日」に詠まれている。「老人の日」と聞いて抽象的に「敬老」を思う人もいるだろうが、多くの人があらためて思うのは、身近にいる老人のことだろう。老人を自覚している人はもちろん、そうでない人も「老人」につづけて連想するのは「死」だ。今度の冬が越えられるか。そういうことを、誰もがちらりと思う。で、いざというときに必要なのは「喪服」であり、そのことを妻がずばりと切り出したことに、作者は驚いている。身内の葬儀ともなれば、ちゃんとした喪服が必要なことくらい作者にもわかってはいるのだけれど、まだまだ時間的な余裕があると思いたいし、なかなか作る気にはなれないでいた。その優柔不断を、正面から突かれた。国家の押しつけた「老人の日」にも、こんな実効性があった。喪服は、多くの夫婦がおそろい(ペア・ルック)で作る最初にして最後の衣服だ。そう思うと、可笑しくもあり物悲しくもある。『淡酒』(1971)所収。(清水哲男)




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