September 0792000

 秋の雲ピント硝子に映りけり

                           籾山庭後

書に「海岸撮影」とある。詠まれたのは、明治末期か、大正初期だ。海岸の写真を撮るべく写真機をセットしたら、ファインダー(ピント硝子)に雲が映った。その雲の形は、既に秋のそれだった。それだけの写生句だが、写真機を通じて秋の雲にはじめて気がついたところに、作者の喜びが表現されている。「映りけり」が、それを伝えている。写真の面白さの第一歩は、このあたりにあるのだろう。人間の目は、あらゆる風景や物などを、いわば勝手に見ているので、見ているはずが気がつかないことも多い。作者の肉眼には海岸の形状だけが見えていて、その上に浮かぶ雲などは、見えてはいても見ていなかったのである。それが写真機の「ピント硝子」を覗いてみると、見えていなかった雲までが形として鮮明に飛び込んできた。写真機の目は風景を切りとり、切り取ったシーンについてはすべてを公平に映し出すから、人間の目とは似て非なる目だ。ましてや、この写真機はピントとフレームを決めたら、フィルムならぬ「乾板(かんぱん)」を差し込んで写すタイプのもの。撮影者が「ピント硝子」を見るためには、黒い布を被らなければならない(昔の学校に来た写真屋さんが、そんな格好で記念写真を撮ってくれましたね)。黒い布で自分の目が現実の外界から遮断されることで、余計に、それまで見えていなかったものが見えてくる理屈となる。「ピント硝子」は、磨りガラス製。海岸風景は、逆さまに映っている。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)




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