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September 0492000

 切るだけで貼らぬ切抜き秋暑し

                           後藤雅夫

聞や雑誌の記事の「切抜き」。仕事にせよ趣味にせよ、あれはなかなか面倒なものだ。切り抜くだけは切り抜いても、きちんとスクラップ・ブックに貼っておかないと、用をなさない。つい、切り抜いたままにしてしまう。それが、どんどん溜まってくる。作者の机上にあるのは、おそらく今日の「切抜き」だけではないのだろう。涼しくなったらちゃんと整理しようと思っていたのが、いっこうに涼しくなってくれない。残暑が厳しい。だから、今日も面倒になって、切り抜いたままで放置してしまった。もちろん、大いに気にはなっている。その気持ちが「秋暑し」に、ぴたりと結びついている。私にも「切抜き」の覚えがあるので、よくわかる。何度もチャレンジして、一度も成功しなかった。本棚にはスクラップ・ブックが数冊あるが、引っ張り出すと、ばらばらっと貼ってない「切抜き」が抜け落ちてくる。おのれの怠惰を見せつけられたようで、愉快な気分じゃない。ならば貼らないで整理しようかと、山根一眞流に、項目分けした袋に放り込む方針に転換した。「俳句」の記事は「俳句」と書いた袋に、「野球」関係は「野球」の袋にと。この方法はけっこう長続きしたが、そのうちに切り抜くこと自体が面倒になり、あえなく頓挫。こういうことは、性に合わないらしい。『冒険』(2000)所収。(清水哲男)


September 1392001

 秋あつし宝刀われにかかはりなき

                           藤木清子

和十五年ころ、第二次大戦前夜。やむにやまれぬ大和魂。いつ日本が伝家の「宝刀(ほうとう)」を、欧米の列強相手に引っこ抜くかが、国民的な話題となっていたころの作だ。作者には掲句以前に「戦争と女はべつでありたくなし」などがあり、愛国心に男も女もないという気概を披歴している。が、女性には参政権もなかった時代だから、気概も徐々に空転して「われにかかはりなき」の心境に至ったのだろう。時の国家権力にいくら共鳴し近づこうとしても、しょせん女は排除される運命だと諦観した句と推定できる。勝手にしやがれ、なのである。このように、明らかに国家による女性差別の時代があった。そして、いきなりの男女同権、主権在民……。望ましいと言うよりも、しごく当たり前の時代が到来したわけだ。が、はしょって述べるしかないけれど、男女同権主権在民の「民主主義」が明確にしたのは、皮肉にもそんな権利では取りつくシマもない権力構造そのものの姿だった。藤木清子よ。あなたは女ゆえに、愛国者として権力に翼賛することを拒否されたわけではなかったのだ。抜けば玉散る氷の刃(やいば)。いつの時代にも、そんな見栄を実行に踏み切れるのは権力者だけである。したがって「正義」の名の下に真珠湾に奇襲をかけ、逆に「正義の報復」に原子爆弾を平然と投下した権力もありえたのだ。このことを思うと、われら女も男も「われにかかはりなき」とでも、お互いに可哀想にもつぶやきあうしかないのではないか。カネもヒマもない庶民には、テロリズムもまた、思弁的夢想の範疇でしか動かせない。「秋あつし」……。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


August 1082002

 秋暑し鏡少なき工学部

                           市川結子

学部に、人を訪ねた。暑い最中を歩いてきたこともあり、会う前にちょっと身繕いを直そうと鏡を探すのだが、なかなか見つからない。冷房の効いていない長い廊下で戸惑っている作者の姿が、目に浮かぶ。言われてみると、なるほど「工学部」とは、そういう場所のような気がする。むろん洗面所にはあるだろうけれど、古ぼけた小さな鏡が、薄暗い照明の下に申し訳程度に貼り付けられている(ような気がする)。いまでもたぶん、工学部には圧倒的に男子学生が多いから、あまり洒落っ気とは縁がないのだ。……と思えてもくるけれど、しかし新しい大学は別にして、では他の学部に鏡がたくさんあるのかというと、似たりよったりではなかろうか。昔から比較的女子学生が多いからといって、とくに文学部に鏡が多いというわけでもないだろう。なかで、なんとなく医学部や薬学部には他学部よりもありそうだが、実際にどうなのかは、意識して見たことがないのでわからない。だからといって、掲句の学部名を仮に法学部や経済学部に入れ替えてみても、どうもしっくりとはこないことに気がつく。やはり「工学部」でなければならない。そこが面白い。鏡の有無から学部の雰囲気を描き出すとは、さすがに女性ならではの発想である。感心した。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1392003

 わが嫁が鬘買ひたり秋暑し

                           車谷長吉

療用の鬘(かつら)ではなく、ファッションのためのそれだろう。ひところ若い女性の間でかなり流行したことがあって、見せてもらったことがあるが、地毛と区別がつかないくらいによくできていて感心した。ただ当然のことながら、頭をぴったりと覆う帽子のようなものだから、暑い時期には向きそうにない。かぶるには、かなりの忍耐を必要としそうだ。そんな鬘を妻が買ってきた。それでなくとも暑くてたまらないのに、なんという暑苦しいものをと、作者は内心でつぶやいている。苦り切っているのではなく、むしろ残暑厳しき時期に暑苦しい買い物ができる妻の発想に少し驚いていると読める。小説家(というよりも「文士」と呼ぶほうが適切かな)である作者は、いつも俳句を一編の小説のように作るのだという。なるほど、掲句もここからいろいろなストーリーが展開していきそうだ。作者の頭の中では、すでにこの鬘の運命が決まっているのだろう。そう思うと、愉快だ。ところで「わが嫁」はむろん妻のことだけれど、仮に「わが」と限定しないとすれば、地方によって受け取り方が違ってくる。関東辺りで単に「嫁」と言えば妻ではなく息子の嫁の意味だが、私の育った山口県辺りでは配偶者のことを言う。「あまり飲んだら嫁に叱られる」などと、当時の友人たちは今でも使っている。作者の生まれた兵庫県でも、おそらく同じだと思う。だから「わが嫁」と限定して詠んでいるのは、五音に揃えるということよりも、誤解を招かないための配慮からだと言える。「嫁」が妻のことを言うに決まっている地方の読者には、「わが」の限定がいささかうるさく感じられるかもしれない。『車谷長吉句集』(2003)所収。(清水哲男)


September 1692004

 新宿の炸裂もせず秋ひでり

                           正木ゆう子

書林から『正木ゆう子集』(セレクション俳人・20)が出た。かねてから読みたいと思っていた第一句集『水晶体』(1986・私家版)から全句が収録されているので、私的にも嬉しい刊行だ。この句も『水晶体』より選んだ。「秋ひでり」は「秋日和」ではなく、むしろ残暑厳しい「秋暑し」の謂いだろう。当歳時記では「残暑」に分類しておく。まったくもって新宿という街は、いつ出かけても雑然を越えて猥雑であり、田舎の友人などは頭が痛くなるから嫌いだという。「地鳴り」という言葉があるが、新宿には「人鳴り」とでも言うべき独特の喧噪がある。街全体がうわあんと唸っているかのようで、風船のようにどこかをひょいと突ついてやれば、確かに「炸裂」してもおかしくはない雰囲気である。だが、この街は炸裂しない。猥雑な空気の中にもどこか忍耐強い緊張感があって、何が起きてもどどっと崩壊したりはしないのである。この句は、そんな街の緊張感を描いていて秀逸だ。「秋ひでり」はなおしぶとく暑く、しかしその暑さに捨て鉢になる寸前でじっと耐えているような新宿の空気のありようを、一息に伝える力を感じた。「炸裂」という抽象的な言葉もよく生きているし、作者の青春性も漂ってくる。ついでに言えば、渋谷や原宿、六本木などという繁華街ではこうはいくまい。これらの街はまだまだ薄っぺらで、新宿のような多重層的とでも言うべき緊張感はないからである。(清水哲男)


November 04112004

 秋暑し五叉路を跨ぐ歩道橋

                           比田誠子

の上の秋は今週でお終い。七日は、はや「立冬」だ。しかし、動くと汗ばむような陽気の日がまだしばらくは断続的にあらわれる。「秋暑し」の掲句はドカンと「歩道橋」を据えてみせ、それも五叉路を跨いでいるのだから、想像するだに暑そうである。身体的にも暑そうだが、それ以上に神経的にこたえる。夏の暑さなら覚悟しているので身体的な反応ですむけれど、秋の暑さの中だとむしろ余計に神経に障るので、辛いものがある。したがって、「秋暑し」の感覚がよく生かされている作品だと思う。実際、五叉路くらいの分かれ道を跨ぐ歩道橋をわたるのは、厄介だ。東京の飯田橋駅前の歩道橋を思い出したが、あそこは五叉路だったか何叉路だったか、とにかくよく注意してわたらないと、とんでもない所に下りてしまう羽目になる。たまに出かけると、必ずといってよいほどに間違える。まったく神経によろしくない歩道橋だ。それに歩道橋は、車優先思想の先兵みたいなものだから、まったくもって人間に失礼な建造物なのである。日本で最初に歩道橋ができたのは、たしか大阪駅前だったと記憶する。その昔の新幹線のキャッチコピーに「ひかりは西へ」というのがあった。これに習って言えば「失礼は西から」だ。なんてことを言うと、大阪人に張り倒されるかしらん(笑)。俳誌「百鳥」(2004年11月号)所載。(清水哲男)


August 1482006

 歌舞伎座の前の混雑秋暑し

                           甲斐遊糸

の上では秋になったが、まだ暑い日がつづく。この状態が「秋暑し」だ。「残暑」に分類。体感的にも真夏並みに暑く、その上に何かの光景に遭遇すると、いっそう暑さが増してくることがある。早い話が、この時期のバス停などでむずかる赤ん坊を見かけただけで、汗が余計に噴き出す感じになったりする。先日乗った飛行機の中では、福岡から羽田まで泣きっぱなしの幼児がいた。むろん機内は冷房されていたが、その暑苦しさには辟易させられた。作者は同じような暑さを、歌舞伎座の前で体験したのだ。「混雑」は、団体観劇の一行がバスで到着したことからだろう。普段、歌舞伎座の前は繁華街から外れているので、そんなに混雑する場所ではない。たまたま通りかかった作者は、にわかに出現した混雑の人いきれに暑さがいや増したのであり、そしてもう一つ、暑く感じた要因がある。この一行は、場末の映画館に来たのではないのだから、それなりに着飾っていたことだ。団体観劇とはいえ、一等席や二等席ならチケットは一万円近くはするだろう。その金額に見あった装いとなると、女性ならば和装が多かったかもしれない。一人ひとりを別々に見れば涼しげな装いだとしても、着飾った団体ともなるとそうは見えない。そこだけが、さながら熱のかたまりのように感じられたはずだ。そんな歌舞伎座前ならではの独特の「秋暑し」を詠んだところに、長年修練を積んだ俳句の目の光りが感じられる。『朝桜』(2006)所収。(清水哲男)


September 0392006

 吊革に手首まで入れ秋暑し

                           神蔵 器

というのはなぜか電車に乗ると、坐りたくなる生き物に変わってしまうようです。駅に着くたびに、どこか空き席がでないかと期待する思いは我ながら浅ましく、そんな自分がいやになって、今度は意地でも坐るまいとくだらない決断をしてみたりもするものです。それはともかく、掲句です。吊革に手首まで入れということですから、姿勢よくまっすぐに立っているのではなく、身体はかなり斜めに傾いています。その傾きに沿うようにして、秋の西日が入り込む夕方の情景かと思われます。一日の労働の後の、人それぞれの思いをいだいて乗った車両。句に詠まれた勤め人の一日にも、さまざまなことがあり、上司から叱責のひとつも受けてきたのでしょうか。あるいは電車に乗るまでに一杯引っかけて、酔いのまわっただるい体をつり革にぶら下げているのかもしれません。句にある吊革の握り方は「手首掛け」、普通の握り方は「順手にぎり」と言います。思えば、自分の掌でしっかりと何かを掴むという行為は、一日の内でも、それほどはありません。世の中にしがみつくように、そんなに強くにぎるわけですから、吊革には日々、わたしたちから剥がれたものがくっついてゆきます。生命にさんざん握られて、吊革もかなり疲れているでしょう。秋の日差しを暑く感じているのは、本当は手首を深く入れられた、吊革のほうなのかもしれません。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


August 1782008

 異国語もまじる空港秋暑し

                           後藤軒太郎

港の、高い天井の下にいると、なぜか自分がとるにたりない存在のように感じられてきます。通常は出会えない大きな空間に放り出されて、気後れがしてしまうのかもしれません。先日も見送りのために成田空港に行ってきましたが、家族にかける言葉も、いつもと違って、どこかうわっつらなものになってしまうのです。この句を読んで、あの日に感じたことをまざまざと思い出していました。「異国語」の「異」は、言葉だけではなく、心の中の違和感をも表しているようです。旅立つ人、見送る人、双方が日常の時間から切りはなされて緊張しているのです。耳元では、アジア系の、どこともわからない国の話し言葉が聞えてきます。「いってらっしゃい」と手を振って、一人きりになったあと、帰宅のために空港のバス停に向かいました。空港の建物から突き出ている大きな庇の向うには、依然として真夏の陽射しが強く照りつけていました。まさに本日あたりは、盆休みの行楽から多くの人が帰ってくるのでしょう。混雑する空港で、汗をぬぐいながら母国語にほっとして、暑い日常の日々に少しずつ戻って行くのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 1982008

 本といふ紙の重さの残暑かな

                           大川ゆかり

さは立秋を迎えてから残暑と名を変えて、あらためてのしかかるように襲ってくる。俳句を始めてから知った「炎帝」という名は、火の神、夏の神、または太陽そのものを指すという。立秋のあとの長い長い残暑を思うと、炎帝の姿にはふさふさと重苦しい長い尻尾がついていると、勝手に確信ある想像していたのだが、ポケモンに登場する「エンテイ」は「獅子のような風格。背中には噴煙を思わせるたてがみを持つ」とされ、残念ながら尻尾には言及されていない。掲句は残暑という底なしの不快さを、本来「軽さ」を思わせる「紙」で表現した。インターネットから多くの情報を得るようになってから、紙の重さを忘れることもたびたびある現代だが、「広辞苑」といって、あの本の厚みを想像できることの健やかさを思う。ずっしりと思わぬ重さに、まだまだ続く残暑を重ね、本の重さという手応えをあらためて身体に刻印している。〈泳ぐとはゆつくりと海纏ふこと〉〈月朧わたくしといふかたちかな〉〈あきらめて冬木となりてゐたりけり〉『炎帝』(2007)所収。(土肥あき子)


October 22102008

 刷毛おろす襟白粉やそぞろ寒

                           加藤 武

かにも演劇人らしい視線が感じられる。役者が楽屋で襟首に刷毛で白粉(おしろい)を塗っている。暑い時季ならともかく、そろそろ寒くなってきた頃の白粉は、一段と冷やかに白さを増して目に映っているにちがいない。他人が化粧している様子を目にしたというよりも、ここは襟白粉を塗っている自分の様子を、鏡のなかに見ているというふうにも解釈できる。鏡を通して見た“白さ”に“寒さ”を改めて意識した驚きがあり、また“寒さ”ゆえに一段と“白さ”を強く感じてもいるのだろう。幕があがる直前の楽屋における緊張感さえ伝わってくるようである。もっとも、加藤武という役者が白粉を塗っている図を想像すると、ちょっと・・・・(失礼)。生身の役者が刷毛の動きにつれて、次第に“板の上の人物”そのものに変貌してゆく時間が、句に刻みこまれている。東京やなぎ句会に途中から参加して三十数年、「芝居も俳句も自分には見えないが、人の芝居や句はじつによく見える」と述懐する。ハイ、誰しもまったくそうしたものなのであります。俳号は阿吽。他に「泥亀の真白に乾き秋暑し」「行く春やこの人昔の人ならず」などがある。どこかすっとぼけた味のある、大好きな役者である。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


July 3172009

 残暑とはショートパンツの老人よ

                           星野立子

人にステテコは当たり前だが、ショートパンツとはさすがに客観写生の優等生である。ショートパンツの老人は現在の「花鳥諷詠派」の人たちでは出てこない表現だろう。古い情緒に適合しないからだ。俳句的情緒からいくと老人には着物つまり羅や白地。下着ならステテコや褌と取り合わせる俳人が多い。褌は「たふさぎ」などと古い読みを出してきて俳諧を気取る風潮もある。こんなのはみんな古い風流感の上に乗った陳腐なダンディズムだ。ショートパンツから皺だらけのやつれた肢が出ている。なんともみっともないこの肢こそが残暑の象徴だと作者は言っている。虚子は娘立子の素直さ、屈託の無さを最大限に評価した。意地悪な僕は女性の「育ちの良さ」ポーズや「屈託の無さ」仕種を簡単には信じないが、こんな句を見ると虚子の評価を肯わざるを得ない。『実生』(1957)所収。(今井 聖)


August 0982010

 ダリの絵のごとき街なり残暑なほ

                           熊岡俊子

秋を過ぎても暑いのは例年のことながら、今年の暑さは格別だ。異常と言うべきだろう。だからなるべく外出を控えているが、父の病気のこともあり、いつもの年よりも出かける機会はむしろ多いのかもしれない。自宅近くのバス停まで五分ほど歩くと、もう汗だく。目に汗が流れ込んだりして、あえぎあえぎ目的地まで……。そんな具合だから、ダリの絵を持ち出した掲句の比喩はよくわかります。ダリの絵の、あの物体が解けて滴っているような奇妙な描写が現実味を帯びてくるのです。最近炎暑の街中でこの句を思い出して、なるほどと大いにうなずいたことでしたが、一方で自分の身体も溶けてゆき、どんどん暑さが身にこたえてくるようでまいりました。知らなければよかった佳句ということになるのでしょう(苦笑)。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


August 2282010

 早口な介護士が来て秋暑し

                           芦田喜美子

るほど、こんな情景も句になるのだなと、感心してしまいました。介護士が来たのだからこの家には病人か老人がいるわけです。畳敷きの狭い部屋には、背中の持ち上がるベッドが置いてあります。秋とはいえ暑い日が続いている間は、部屋の中にはけだるい空気が漂い、家族の話す言葉も静かでゆったりしたものになっています。そんなところにいきなり、外のにおいを全身に身につけて、威勢良く部屋に上がりこんで若い介護士が来たのでしょう。次から次へてきぱきと手順を説明する声は早くて大きく、日本語なのに、その意味をとらえることができません。おそらく病人とは対極にあるようなこの元気のよさは、住んでいるものだけではなく、部屋全体にとっての驚きであるわけです。そういえば、老いた母を病院に付き添ったときに、お医者さんの前で、にわかに自分の年齢や健康が気恥ずかしくなる感覚を持つのは、なぜなのでしょうか。つね日ごろは、仕事や人事のことであれこれ悩んでいる身も、親のそばに立つと、単に健康で、単純な生き物に自分が感じられてくるのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 0292010

 秋暑し謝ることを仕事とす

                           西澤みず季

ったいいつまでこの暑さは続くのだろう。九月に入っても平年以上に気温の高い日が続く。と、あまりありがたくない予報が出ているが、早く秋らしく爽やかな空気を味わいたいものだ。「謝ることが仕事」と言えばデパートのお客様相談室や企業の顧客窓口を思い浮かべるが、それだけではなく、働いていれば「謝ることが仕事」と自分に言い聞かせねばならぬ場面は出てくるもの。どんな理不尽なことを言われても反論する気持ちをぐっと抑え込み。ひたすら頭を下げる。下げた額からぽたぽたと汗がしたたり落ちる。何かと弁明したい気持ちを押し殺しつつ、相手へ頭を下げ続ける割り切れなさは、長引く暑さに耐える不快さに通じるかもしれない。それでも掲句のように「謝ることを仕事とす」とさらりと表現されれば、所詮仕事ってそんなもの。と開き直った潔さも感じられて、嫌な出来事にも距離をとって考えられそうだ。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


September 2592010

 秋暑しすこやかなればめぐり合ひ

                           松本つや女

の句の前に〈夕顔に病み臥す人と物語〉〈堂縁に伏して物書く秋の風〉と続いている。いずれも、夫たかしを詠んでいるのだろう。一句目の物語、二句目の秋の風、共に過ごす時間に同じ風が吹いている。終生病弱であったたかし、病が進んでも衰えた様子を見せるのを嫌い、つや女にも、取り乱すことの無いようにと常々言っていたという。貴公子、と呼ばれたたかしだが、長く身の回りの世話をし、やがて一緒になったつや女には素顔のたかしが見えていたのだろう。残暑より少し秋の色合いの強い、秋暑し。まだ暑いながら時に秋風も立つ。この夏もなんとかのりきったなと一息つきながら、一瞬過去へ思いが巡ったのだろう。すこやか、の一語から、こめるともなくこもる思いが伝わってくる。『現代俳句全集 第一巻』(1953・創元社)所載。(今井肖子)


August 3182011

 鯉の口ゆつくり動く残暑かな

                           中上哲夫

かろうが寒かろうが、鯉はゆっくり口をあけてエサを食べ、水を飲む。もちろん残暑の頃になっても、変わることなくパクパクやっている。まだ暑さがつづいてうんざりしているときに、所在なく池の鯉を見ていると、いつしか鯉の口に目を奪われてしまうということだろう。水中の鯉にとって残暑など関係ないだろうけれど、残暑という、季節が移り変わるときであるだけに、作者にはわけもなく鯉のパクパクが気になっている。短いヒゲを揺らしながら、ゆっくり動く鯉の口はいとしい。刀の鞘口のことを「鯉口」とは言い得て妙である。哲夫はむかし、飲んだ後みんなと別れる際に「帰って詩を書こう」と言って笑わせるのがクセだったけれど、居合わせたみんなはひそかに疑っていたはず。帰って、果たして詩を書いたかイビキをかいたか……。今は彼が主宰している句会のあと、「帰って俳句を書こう」などと言っているのかどうか。俳号はズボン堂。彼は近年、余白句会のほうには投句だけしているが、月並み句があったり、思いがけない佳句があったり、振幅が大きいのも彼らしい。他に「猫のひげだらりと垂れて秋暑し」がある。「OLD STATION」14号(2008)所載。(八木忠栄)


September 1592011

 胃は此処に月は東京タワーの横

                           池田澄子

んだ空に煌々と月が光っている。ライトアップされた東京タワーの横にくっきりと見える満月は美しかろう。ただ、この句は景色がメインではない。胃が存在感を持って意識されるのは、胸やけを感じたり、食べ過ぎで胃が重かったりと、胃が不調の時。もやもやの気分で、ふっと見上げた視線の先に東京タワーと月が並んでいる、あらっ面白いわね。その瞬間の心のはずみが句に感じられる。どんより重い胃とすっきり輝く月の対比を効かせつつ、今、ここに在る自分の立ち位置からさらりと俳句に仕立てるのはこの作者ならではの技。ただその時の気持ちを対象にからませて述懐すれば句になるわけではない。この句では「胃は此処に」に対して「月は東京タワーの横(に)」の対句の構成に「横」の体言止めですぱっと切れを入れて俳句に仕立てている。短い俳句で自分の文体を作り出すのは至難の業ではあるが、どの句にも「イケダスミコ」と署名の入った独特の味わいが感じられる。「今年また生きて残暑を嘆き合う」「よし分かった君はつくつく法師である」『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


September 1892011

 秋暑く道に落せる聴診器

                           高橋馬相

の句が読者を振り向かせるかどうかは、道に落したものが何かにかかっています。当たり前なものではつまらないし、かといって「手術台の上のこうもり傘」ふうな、突拍子もないものでは、わざとらしさが残るだけです。おそらく、句を作っている時に、道に何を落したことにしようかなどと考え込んでいるようでは、期待できません。才を持っている人なら、何も考えずとも自然に思い浮かんでしまうものだし、その自然に思い浮かんだものが、ああなるほどと読者を納得させるものになってしまうのでしょう。ところでこの句、熱いアスファルトの上に落ちた聴診器が聴きとっているのは、去ろうとする夏の足音と考えても、よいのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社)所載。(松下育男)


September 0192012

 無用のことせぬ妻をりて秋暑し

                           星野麥丘人

月はまだ仕方ないとして、九月になるともうそろそろ勘弁してほしい、と思う残暑、今年はまた一段と厳しい。朝晩凌ぎやすくなってきたとはいっても、ひと夏の疲れが溜まった身にはこたえるものだがそんな日中、暑い暑いと言うでもなく、気がつけば少し離れてじっと座って小さい手仕事などしている妻。無用なことをしてばたばたと動き回っている方がよほど暑苦しいわけだが、逆にじっとしているさまが、残る暑さのじんわりとした感じをうつし出している。おい、と言いかけるけれど、ご自分でできることはなさって下さいな光線が出ているのかもしれない。麦茶の一杯でも、と厨に立つ作者の後ろ姿も浮かんでくるようだ。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)。(今井肖子)


August 1282013

 窓開けて残る暑さに壁を塗る

                           平間彌生

秋を過ぎてから、尋常でない天気がつづく。猛烈に暑いか、猛烈な降雨か。テレビなどでその理屈は知りえても、この異常な状態を招来している根本的な要因は、さっぱりわからない。東京あたりでは、いやまあその暑いこと。一昨日の武蔵野三鷹地区での最高気温は。38.3度。止むを得ず買い物に出たが、眩暈がしそうな炎天であった。ドイツから里帰りしている娘などは、「東京の残暑に会ひに来たやうな」(浅利恵子)と言っている。掲句の暑さも尋常ではないな。壁を塗るのには時間がかかるから、このときにほんの思いつきで作業をはじめたわけじゃない。何日も前から計画して、いざ実行となったわけだが、ある程度の暑さは覚悟の上ではあるものの、塗りはじめてみると汗が止まらない。むろん、心のどこかで「しまった」とは思うのだけれど、作業を中止するわけにも行かず、そのまま塗りつづけている。これ以上何も説明されなくても、読者にもこの暑さがボディブローのようにじわりじわりと効いてくる。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 1982013

 秋暑しあとひとつぶの頭痛薬

                           岬 雪夫

んなにも暑さがつづくと、月並みな挨拶を交わすのさえ大儀になってくる。マンションの掃除をしにきてくれている女の人とは、毎日のように短い立ち話をしているが、最近ではお互いに少し頭をさげる程度になってしまった。会話をしたって、する前から言うことは決まっているからだ。出会ったときのお互いの目が、それを雄弁に語ってしまっている。こうなってくると、なるべく外出も避けたくなる。常備している薬が「あとひとつぶ」になったことはわかっているが、薬局に出かけていくのを一日伸ばしにしてしまう。むろん「あとひとつぶ」を飲みたいときもあるけれど、炎暑のなかの外出の大儀さとを天秤にかければ、つい頭痛を我慢するほうを選んでしまうのだ。こんなふうにして、誰もが暑さを避けつつ暑さとたたかっている。この原稿を書いているいまの室温は、34度。こういうときのために予備の原稿を常備しておけばよいのだが、それができないのが我が悲しき性…。「俳句」(2013年8月号)所載。(清水哲男)


October 07102013

 木の蔭の中の草影秋暑し

                           山口昭男

は大気が澄んでくるから、見えるものの輪郭がくっきりとしてくる。影についてもそれは同じで、陽炎燃える春などに比べれば、その差は歴然としている。この句は「木の蔭」と「草の影」を同じ場所に同時に発見することで、澄み切った大気の状態と夏を思わせる強い日差しとを一挙に把握している。それにしても、木陰の中の草影とは言い得て妙だ。ふだん誰もが目にしている情景だが、たいていの人はそのことに気がつかないか、気づいても格別な感想を持つことはないだろう。そうした何でもないようなトリビアルな情景を拾い出し、あらためて句のかたちにしてみると、その情景以上の何かが見えてくるようだ。俳句の面白さのひとつはたぶん、このへんにある。この発見に満足している作者の顔が見えるようで、ほほ笑ましい。『讀本』(2011)所収。(清水哲男)


April 1442015

 卵かけご飯大盛り山笑ふ

                           嶌田岳人

いご飯に生卵を落として食べる。今や卵かけご飯専用醤油まで販売されるほどメジャーになったが、やはりお行儀はあまりよろしいものではない。よろしくないからこそ、お茶碗に山盛りにしたご飯が似合うのだ。たびたび紹介している1928年に来日したイギリス女性、キャサリン・サンソムの『東京に暮す』に、日本人がご飯を食べる姿がこう書かれている。「ご飯をかき込む姿は、戸を一杯に開いた納戸に三叉で穀物を押し込む時のようで、大きく開けた口もとに飯茶碗を添えて、箸でせわしく動かしながらご飯を掻き込みます」そして「これがご飯をおいしく食べる方法なのです」と続く。おいしく食べている様子は、見ている側にも伝わるのだ。掲句では「山笑う」の季語が、山盛りのご飯のかたちとしても効いており、また「なんとおいしそうなこと!」と笑っているようにも思わせる。最後にお気に入りの卵かけ御飯レシピ。卵の白身と黄身を分けて、ます白味とご飯だけでぐるぐるっと混ぜる。たちまちふわふわのメレンゲ状になるので、そこに黄身を乗せ、くずしながら醤油などをたらして食べる。新鮮な卵が手に入ったらぜひお試しください(^^)〈瀧音といふ水の束解けたる〉の抒情や、〈どこまでがマンボーの顔秋暑し〉の俳味など、句柄の自在も魅力の一冊。『メランジュ』(2015)所収。(土肥あき子)




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