August 2482000

 夢で首相を叱り桔梗に覚めており

                           原子公平

頃から、よほど首相の言動に腹を立てていたのだろう。堪忍袋の緒が切れて、ついに首相をこっぴどく叱責した。その剣幕に、首相はひたすら低頭するのみ。と、ここまでは夢で、目覚めると「きりきりしやんと」(小林一茶)咲く桔梗(ききょう)が目に写った。夢のなかの毅然としたおのれの姿も、かくやとばかり……。このときに、寝覚めの作者はほとんど桔梗なのである。しかしそのうちに、だんだんと現実の虚しさも蘇ってくる。それが「覚めており」と止められている所以だ。苦い味。無告の民の心の味がする。昨日の話を蒸し返せば、掲句の主体も共同社会にオーバーラップしている。ちなみに、一茶の句は「きりきりしやんとしてさく桔梗かな」だ。その通り、見事な描写。文句なし。いずれも花の盛りを詠んでいるが、盛りがあれば衰えもある。高野素十に「桔梗の紫さめし思ひかな」があり、こちらは夢で首相を叱る元気もない。盛りを過ぎた桔梗(この場合は「きちこう」と読むのだろう)に色褪せた我が心よと、作者は物思いに沈みこんでいる。花の盛りが短いように、人の盛りも短い。花の盛りは見ればわかるが、人の盛りは我が事ながら捉えがたい。私の人生で、いちばん「きりきりしやん」としていたのは、いったい、いつのことだったのだろう。「桔梗」は秋の七草。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)




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