August 2182000

 子にうすれゆく方言よ蕎麦の花

                           神原教江

麦(そば)の花が咲きはじめると、そろそろ夏休みもおしまいだ。子供のころには、夏休みが退屈だったくせに、あの白い花が風に揺れている様子に寂しい気持ちもしたものだ。掲句の作者は、もっと寂しい。帰省中の子供が、間もなく都会に去っていくのである。大学生だろうか。休みに帰って来るたびに、言葉遣いが「都会モン」らしくなってくる。方言を毛嫌いするかのようにも、うかがえる。方言には発音の仕方も含まれるので、そのあたりも都会風になっているのだろう。母親としては、そんな子供を一方では頼もしいとは思うのだが、他方ではついに「子離れ」の時期が到来したと感じている。そのことを口にするわけではないけれど、胸の内に寂しさが募るのはどうすることもできない。蕎麦は、元来が山畑などの痩せた土地に植えられた。逞しい植物とも見えるし、哀れとも見える。姿カタチも、全体としては美しいとは言えない。言うならば、雑草同然。だから、頼りなげな白い花が、ひとしお感傷を誘うのだ。戦後の岡本敦郎(武蔵野市でご健在です)の大ヒット曲に、「白い花の咲く頃」(1950)がある。田村しげるの詞には、何の花とも書かれていないが、中学生の私は聞いた途端に「蕎麦の花」を思った。「……さよならと言ったら、黙ってうつむいていたお下げ髪。悲しかったあのときの、あの白い花だよ」。故郷を後にして、若者が都会に出はじめたころの流行歌だった。『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)




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