August 1982000

 長時間ゐる山中にかなかなかな

                           山口誓子

に、類句はあると思う。最近何かの句集で見かけたような気もしたが、失念してしまった。なにしろ「かな」と切れ字を連発する虫だもの、俳人が食指をのばさないわけがない。ただし、よほど考えて作らないと、駄洒落に落ちる危険性を伴う。その点、登山を趣味とした誓子の句は、実感に裏打ちされているだけに、よい味が出ている。それというのも、「かなかなかな」の最後の「かな」は切れ字としても働き、一方では鳴き声の続きとしても機能しているからである。この「かな」の二重の言語的な働きが、句の品格を保証し「山中」の情趣を醸し出している。「かなかな」の本名は「蜩(ひぐらし)」だろうが、こちらにも同時に着目したのが江戸期の人・一峰の「秋ふくる命はその日ぐらし哉」だ。いささか語るに落ちそうな句ではあるけれど、悪くはない。最後ではちゃんと「哉(かな)」と鳴かせている。着想した当人は、さぞかし得意満面だったろう。「かなかな」といえば、山村暮鳥の詩集『雲』(1925)に、好きな詩がある。「また蜩のなく頃となつた/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」(「ある時」全編)。暮鳥は『雲』の校正刷を病床で読み、間もなく永眠した。松井利彦編『山嶽』(1990)所収。(清水哲男)




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