August 1782000

 朝貌の黄なるが咲くと申し来ぬ

                           夏目漱石

貌(あさがお)に、黄色い花があるかどうかは知らない。品種改良が進んでいるいまでも、あれば珍種の部類に入るのだろう。見てみたい。「申し来ぬ」は、わざわざ手紙で言ってよこしたの意。そのことだけを伝えた手紙だと、読める。漱石も半信半疑ながら、そいつは余程珍しいやと、わざわざ句に書きとめたというわけである。他に何も含意など無い句だが、それだけに心にしみる。明治二十九年(1896年)の作。誰からの手紙かはわからないが、誰からにせよ、ちょっとした自然の変事を書き送ってくる心映えが嬉しい。それを、そのまま句にした漱石の気持ちも……。「心にしみる」と言うのは、そればかりではなく、これが現代だったらどうかなと、ちょっと思ったからだ。はっきりと珍種の認識があれば、写真に撮って新聞社にご注進と出るかもしれない。花の色など何でもありみたいな時代だから、一瞬「おや」とは感じた人も、すぐに忘れてしまうかもしれない。そしておそらく、大多数の人は気にもとめないだろう。早速あいつに知らせてやろうと、手紙を書く人がどれだけいるだろうか。手紙といえば、時候の挨拶が面倒だからと、書くのが苦手な人が増えてきた。恥ずかしながら、かく言う私も「前略」専門。面倒に感じるのは、時候の挨拶に自然への思いを盛り込めないからである。このような句に接すると、私たちの社会が自然に素朴な驚きを覚える力を失って久しいと、つくづく思う。『漱石俳句集』(1990)所収。(清水哲男)




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