July 2872000

 にごり江を鎖す水泡や雲の峰

                           芝不器男

がった説に、「雲の峰」は陶淵明の詩句にある「夏雲多奇峯」に発したと言う。そんなことはないだろう。わざわざ外国人に教えられなくても、巨大な積乱雲を山の峯に見立てるなどは幼児にだってできる。教養の範疇に入る比喩じゃない。ときに学者は、おのれの教養に足下をすくわれる。掲句の「鎖す」は「とざす」、「水泡」は「みなわ」と読む。入江には流れてきた芥の類がたまっていて、腐乱物の発生するガスによる「水泡」がぶつぶつといくつも浮いている。茶色っぽくてきたならしい水の泡たち。見ているだけで暑苦しいが、空にはいくつもの「雲の峰」が立っており、その影をまた「にごり江」がうつしている。暑さも暑し、炎暑もここに極まったような情景だ。江戸期より「雲の峰」の作例には、積乱雲のエネルギーを讚える句が多いが、掲句は逆で、エネルギーに圧倒されている弱い心を詠んでいる。「にごり江」に、みずからの鬱屈した思いを投影しているのだろうか。でないと、わざわざ「にごり江」に見入ったりはしないだろう。地味な写生句だが、写生が写生を乗り越えていく力を感じさせられる一句だ。飴山實編『麦車』(1992)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます