July 2572000

 寺の子の大きな盥浮いて来い

                           甲斐遊糸

濯用の盥(たらい)は、家庭の規模を表現した。家族の人数や客の多寡で、盥の大きさはおのずから定まった。鍋釜や飯櫃の大きさも同様だ。寺の盥が図抜けて大きいのも、うなずける。そんな盥を境内の木陰に出してもらって、幼い寺の子がひとりで遊んでいる。「浮いて来い」は浮き人形のことで、夏の季語。人形や船、金魚などをブリキやセルロイドで作り、水中に沈めては浮いてくるのを楽しんだ。ごく素朴な玩具だが、江戸期には相当に凝ったもの(人形に花火を持たせて走らせるものなど)もあったようだ。作者に特別な仏心があるわけではないと思うが、このシーンをつかまえたときの慈顔が感じられる。将来は僧侶として立つであろう寺の子の無心が、作者の慈顔を引きだし、掲句を引きだしたと言ってもよいだろう。このとき「浮いて来い」は、作者の寺の子の未来に寄せる応援の言葉でもある。盥で思い出したが、京都での学生時代の下宿先では、当然のことながらその家の盥を使わせてもらい、洗濯をしていた。ある日、何気なく盥の裏を見たら「昭和十三年二月購入」と墨書きしてあった。それはそのまま、私の生まれ年であり生まれ月だった。『月光』(2000)所収。(清水哲男)




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