July 1972000

 夕顔に水仕もすみてたゝずめり

                           杉田久女

仕(みずし)は水仕事。台所仕事のこと。一日の水仕事を終え、台所を拭き清めてから裏口に出ると、薄墨色の流れる庭の片隅に大輪の白い夕顔の花が開いていた。しばしたたずむ久女の胸に去来したものは、何だったろう。いや、何も思わず、何も考えなかったのかもしれない。この夕刻のひとときに、女と夕顔が溶け込んでいるような情景だ。「みずしもすみてたたずめり」の音感について、上野さち子は「どこか遠くを想うようなひそかなしらべがある」と書いている(岩波新書『女性俳句の世界』)。すらりとした姿のよい句だ。1929年(昭和四年)の作、久女三十九歳。久女にかぎらず、当時の主婦は、日常的にこうした夕景のなかに身を置いただろう。ことさらに人に告げるべき情景でもないが、それを久女がこのように詠んだとき、昭和初期の平凡な夕景は、美しくも匂やかに後世に残されることになった。むろん久女の手柄ではあるが、その前に、俳句の手柄だと言うべきか。女にせよ男にせよ、かりに同じような夕顔の情景に立ちあったとしても、もはや当代では無理な作句だろう。現代の夕刻は、滅多に人をたたずませてはくれないからである。『杉田久女句集』(1951)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます