July 0472000

 夕涼や眼鏡をかけて菊の蟲

                           佐藤魚淵

語は「夕涼(ゆうすず)」。魚淵(なぶち)は信州一茶門。というよりも、友人格というところか。一茶よりも八歳年長で、一茶没後の六年間は一茶門の統領格であったという。涼しさの兆してきた夕方の庭に出て、菊の手入れをしている。いま読むと面白くも可笑しくもない句だが、眼目は「眼鏡」。眼鏡は貴重品だったから、金持ちにしか買えなかったはずだ。だから、当時の多くの読者はいちように「ほおっ」と羨望の念を覚えたにちがいない。「眼鏡頌」と題された前書がある。前書というよりも、眼鏡とは何かの「解説」に近い。以下、引用しておく。「眼がねといふ物、いつの代より始めけるにや。老てしばらくも此のものなからましかバ、盲の空をなでるが如く暗きよりくらきに迷ひなん。それさえ世々に工ミにたくみをかさねて、虱を大象程にみせ、牛を芥子粒ばかりに見するも渠が幻術なりけり。又近頃屏風のやうに紙にて蝶つがひといふを拵へて、畳で巾着におし込小とりまわしなど、佛もさたし申されざる調法になん有りける。此等みな末世に生れたる楽しミならずや」。実は、私も目が悪い。十年程前に両眼とも水晶体が自然に剥離してしまい、裸眼では焦点が結ばなくなった。特殊なコンタクトレンズでカバーしている。これが発明されてなかったら、表は歩けなかったろう。このページも作れなかった。だから、魚淵の喜びようは身にしみてわかる。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)




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