July 0272000

 山百合の天に近きを折り呉るる

                           櫛原希伊子

誌「百鳥」が届くと、待ちかねて同人欄で最初に読むのが、櫛原希伊子の句だ。この人の句は、なによりも思い切りがよい。「天に近きを」と言ったのは、事実描写であると同時に、山百合のこの上ない美しさに「天」を感じたからだ。野生の山百合には、他の百合には及ばない気高さがある。この気高さは、たしかに「天」を思わせる。小学校の通学路(山道)に、山百合の乱れ咲く小高い山があった。たまに道草をして、山百合や小笹の群生する丘を分けのぼり、寝転がって空を眺めるのが好きだった。空からは、長閑な閑古鳥の声が聞こえ、細目で真下から見上げる花の美しさは、子供心にも強く訴えてくるものがあった。後に「山のあなたの空遠く、さいわい住むと人の言う」ではじまるカール・ブッセ(だったかしらん)の詩を習ったが、私にはとうてい外国人の詩とは思えなかった。なんだか、その頃の自分の気持ちを代弁してくれているように感じたからである。詩に山百合は出てこないが、私にははっきりと見えるような気がした。いまでも、この詩を思い出すと、まっさきに山百合の姿が浮かんでくる。山百合の句で人口に膾炙しているのは、富安風生の「山百合を捧げて泳ぎ来る子あり」だろう。風生の句もまた、事実描写であるとともに、その気品のある美しさへの思いを「捧げて」に込めている。やはり、「天」に通じているのだ。『櫛原希伊子集』(2000・俳人協会刊)所収。(清水哲男)




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