June 2862000

 花合歓や凪とは横に走る瑠璃

                           中村草田男

歓(ねむ)の花を透かして、凪(な)いだ瑠璃(るり)色の海を見ている。合歓が咲いているのだから、夕景だ。刷毛ではいたような繊細な合歓の花(この部分は雄しべ)と力強く「横に走る」海との対比の妙。色彩感覚も素晴らしい。海辺で咲く合歓を見たことはないが、本当に見えるような気がする。田舎にいたころ、学校に通う道の川畔に一本だけ合歓の木があって、どちらかというと、小さな葉っぱのほうが好きだった。花よりも、もっと繊細な感じがする。暗くなると眠る神秘性にも魅かれていた。眠るのは、葉の付け根の細胞の水分が少なくなるからだそうだ。ところで合歓というと、芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」が名高い。夜に咲き昼つぽむ花に、芭蕉は非運の美女を象徴させたわけだ。しかし、この句があまりにも有名であるがために、後に合歓を詠む俳人は苦労することになった。それこそ草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」が、同じ季題で詠むときの邪魔(笑)になるように……。合歓句に女性を登場させたり連想を持ち込むと、もうそれだけで芭蕉の勝ちになる。ましてや「象潟(きさがた)」なる地名を詠むなどはとんでもない。だから、懸命にそこを避けて通るか、あるいは開き直って「象潟やけふの雨降る合歓の花」(細川加賀)とやっちまうか。そこで遂に業を煮やした安住敦は、怒りを込めて一句ひねった。すなわち「合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず」と。三百年前の男への面当てである。『中村草田男全集』(みすず書房)所収。(清水哲男)




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