June 2662000

 蟻が蟻負いゆく大歓声の中

                           辻本冷湖

が蝶の羽を引いていく。その様子を見て「ああ、ヨットのようだ」と書いた詩人がいる。ほほ笑ましいスケッチではあるにしても、掲句に比べれば、かなり凡庸な発想と言わざるを得ない。同じような庭の片隅などでのスケッチにしても、句は、仲間の蟻(傷ついているのか、もはや息絶えているのか)を懸命に引いていく姿を、実際には起きていない「大歓声」を心中に起こすことで活写してみせた。「大歓声」の分だけ、蟻の世界に食い込んでいる。蟻の生命とともに、作者も生きている。「ヨット」詩人にとっては、蟻や蝶の生命なんかどうでもよいわけだが、作者にはどうでもよくはないのである。実際、この句を読むと「がんばれよ」と、思わずも手に力が入ってしまう。ちっぽけな庭の片隅が、オリンピックの競技場くらいまでに拡大される。そういえば私にも、暑い庭先にしゃがみこんで、いつまでも蟻たちの活動ぶりを眺めていた頃があったっけ。一匹ずつつまみあげては方向転換をさせてみたり、彼らの巣にバケツで水をぶち込んでみたりと、相当なわるさもしたけれど……。掲句のおかげで、ひさしぶりに子供だった頃の夏を思い出した。玄関先に咲いていた、砂埃にまみれた松葉牡丹の様子なんかもね。『現代俳句年鑑2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)




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