June 2362000

 早介が虚空をつかむ螢かな

                           湯本希杖

介は、おそらく小さな孫の名前だろう。蛍をつかまえようとして、「虚空」をつかんでしまった。孫の失敗も、また楽し。「ほれ、ほら」と声をかけながら、早介を見守る作者の慈顔が目に見えるようだ。希杖は、宝暦から天保期にかけて信州に住んだ一茶の弟子。湯田中温泉近くに「如意の湯」と名づけた別荘を建て、その子其秋とともに師を手厚く遇したという。一茶のいわばパトロンの一人で、芭蕉などもそうであったように、こうした人たちの生活支援があったからこそ、一茶らの文名も現代にまで伝えられることになった。そんな知識から句を読み返してみると、なるほど一茶への傾倒ぶりがよく現れている。そっくりと言っても、過言ではない。眼目は「虚空」にある。と言っても、もちろん句の「虚空」には近代的な味付けなどないわけで、単に物理的な「虚しい(何もない)空間」という意味だ。いまとは大違いで、昔の夜は真の闇。鼻をつままれても相手が誰だかわからないほどだったので、蛍の光りは見えても、相対的な距離感がとれないから、飛ぶ位置の見当をつけるのは大人でも難しい。したがって、可愛い早介の失敗にも笑っていられる。べつに、早介がのろまというわけじゃないのだ。これが江戸期の地方に暮らした庶民の、ごく普通の「蛍狩」の情景だろう。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます