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June 0962000

 亡き母の石臼の音麦こがし

                           石田波郷

かけなくなりましたね、麦こがし。新麦を炒って石臼などで引き、粉にしただけの素朴な食べ物。砂糖を入れてそのままで食べたり、湯や冷水にといて食べたりします。東京では「麦こがし」、関西では「はったい」と言うようですが、我が故郷の山口では「はったいこ(粉)」と呼んでいました。地方によっては「麦焦(むぎいり)」「麦香煎(むぎこうせん)」とも。「はったい」命名の由来には諸説あり、「初田饗(はつたあえ)」から来たといううがった見方もあるとのこと。ところで私にもイヤというほどの経験がありますが、麦や豆を石臼で引く仕事は、単調で退屈でした。それに、あのゴロゴロという低音が眠気を誘います。女子供か年寄が、この季節になるとどこの家でもゴロゴロやっていたのを思い出します。作者は、亡き母を生活の音とともに偲んでいます。そこが、句の眼目でしょう。でも、こうした偲び方は、これからどんどん薄れていくのでしょうね。第一、電子レンジのチンでは情緒もへったくれもあったものではありませんし……。平井照敏編『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 1372005

 鹽味のはつたい新刊の書を膝に

                           赤城さかえ

語は「はつたい(はったい)」で夏、「麦こがし」に分類。「はったい」は京阪神での呼び名のようだ。麦を炒って細かく挽き、粉にしたもの。砂糖を加えてそのまま食べたり、湯に溶いて食べたりする。いまでも探せば売っているらしいが、日常的にはなかなか見かけなくなった。掲句は、砂糖がまだ貴重品で高価だった時代のものだ。戦後間もなくの頃だろう。どれくらい貴重だったかについては、子供だった私にも鮮明な記憶がある。来客があると、いわゆるお茶うけに、菓子がわりに単なる砂糖を出したものだった。半紙の上に小さく盛られた砂糖の山を、大の大人がありがたくぺろぺろと舐めていたのだから、今ではちょっと信じられない光景である。それを横合いから、舐めさせてもらえない子供が恨めしそうに盗み見している……、そんな時代だった。だから本来は砂糖を入れるべき「はったい」に、「鹽(しお・塩)」をかけて食べたとしても、そんなに珍しい食べ方というわけではない。これまた、私にも体験がある。もちろん美味くはないけれど、作者の場合には、そんなことよりも膝の上に置いた「新刊の書」への期待で胸が高鳴っている。すなわち、彼は砂糖を購うことよりも、その代金を節約して新刊書を求めたというわけで、心中は意気軒昂。さながら「武士は食わねどナントヤラ」の気概に、一脈通じる趣のある句だ。この時代に、逆に私の父は家族の食のために、全ての本を売り払った。今年は敗戦後六十年、複雑な思いが去来する。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


June 1962006

 おくられし俳誌のうへに麦こがし

                           百合山羽公

語は「麦こがし」で夏。最近はあまり見かけなくなったが、新麦を炒って粉にしたものだ。関西、京阪地方では「はったい」と言う。砂糖を混ぜて粉をそのままで食べたり、水や茶にといて食べたりする。句の作者は、どちらの食べ方をしているのだろうか。ちょっと迷った。「俳誌」の上に直接粉を盛ったとも考えられるが、飛び散ってしまうおそれがあるので、この解釈には無理がありそうだ。おそらくは水か茶でといたものを書斎の机まで持ってきたのだが、コップ敷きを忘れたので、その辺にあった俳誌の上に置いたと言うのだろう。いずれにしても、この「おくられし俳誌」は、作者にとっては大事なものじゃない。送り主には失礼ながら、パラパラッと見て、即刻処分さるべき運命にある雑誌だ。薄情なようだが、これは仕方がないのである。作者ほどに名前のあった俳人のところには、全国から数えきれないほどの俳誌がおくられてきたはずで、それをすべて保存するなどはとてもできないからだ。そうしなければ、やがて寝る場所もなくなってしまう。ちらっと申し訳ないとは思いつつも、そんな俳誌の上に「麦こがし」を置いた作者の溜め息が聞こえてきそうな句だ。掲句から、ある詩人が書いていたエピソードを思い出した。若いころ、友人と出していた同人誌を尊敬する詩人に送り、できれば会っていただけないかという手紙を同封した。そのうちに返事が来て、一度遊びに来なさいということになった。で、友人と一緒におそるおそる訪問したところ、通された書斎で彼らが見た物は……、憧れの先生が土瓶敷きがわりにしていた自分たちの同人誌であった。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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