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June 0262000

 吾子着て憎し捨てて美しアロハシャツ

                           加藤知世子

手な身なりは、軽薄や不良に通ずる。旧世代は、総じてそんなふうに思いがちだ。いまどきの茶髪やピアスや厚底サンダルに違和感を抱くのも、やはり圧倒的に旧世代の人たちだろう。母親として、アロハシャツを着て得意になっている息子が心配で、心配のあまりに憎たらしくさえ見えてきた。「そんなものは捨てちゃいなさいっ」。で、いざ捨てるとなってよくよく見ると、句の心持ちになった。この気持ちのひっくり返り加減を正直に表現したところ、作者の困惑ぶりが、実に面白い。物の本によれば、アロハはホノルル在住の中国人が発案したものだという。言われてみると、なるほど中国風の色彩の美しさだ。日本には戦後渡ってきて、大流行した。なにしろお堅い歳時記ですら、季語として独立した項目を作ったくらいだから、とても無視などできなかったわけだ。その後はだんだんと「夏シャツ」の項目に吸収される傾向にあるが、現在いちばん新しい講談社の『新日本大歳時記』では、依然として独立項目の座を占めている。例句には「アロハ着て竜虎の軸を売り余す」(木村蕪城)など。ちなみに、私は一度も着たことがない。べつに旧世代の美意識に与したからではなく、単純に恥ずかしいからだ。それに浴衣と同様、あれは私のように痩せた男には似合わないと思う。『俳諧歳時記』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


June 2562005

 半袖やシャガールの娘は宙に浮く

                           三井葉子

元には「半袖」を季語の項目とした歳時記はないが、当サイトでは「夏シャツ」に分類しておく。作者は詩人。この夏、初めて長袖から半袖にしたときの連想だろう。軽やかな着心地が、身体の浮遊感を呼び起こしたのだ。そういえば、宙に浮いているシャガールの絵の「娘(こ)」も半袖だったと思い出し、半袖を着た軽快感も手伝って、気持ちも自然に若やいだのだった。シャガールの作品は多いので、作者がどの絵の娘を指して詠んでいるのかは不明だ。が、もしかすると絵は特定されておらず、彼の絵に頻出する幻想的な女性たちが醸し出している雰囲気を折り込んだ句かもしれない。人魚のような女性像もそうだが、シャガールの優しい色使いもまた、どちらかといえば女性好みだから、作者の連想には説得力がある。かりに男の作者が女性の半袖姿を見て詠むとしても、おそらくシャガールは出てこないと思う。半袖で思い出した。小学生のとき、雑誌に載っていたイギリス切手の写真に、エリザベス女王の横を向いた半袖姿の肖像画があった。むろんシャツではなく半袖のドレス姿だったのだけれど、思わず私は母に言った。「女王って、すごく太い腕してるなあ」。「女の人は脂肪が多いからだよ」とつまらなそうに母は言い、咄嗟に私は母の腕を盗み見たが、その腕は女王の半分くらいしかない細さだった。「そうかあ、脂肪かあ」と私は口に出し、「きっと美味しいものばかり食べてるからだな」とは口に出さなかった。『桃』(2005)所収。(清水哲男)


July 1472005

 少年の夏シャツ右肩裂けにけり

                           中村草田男

語は「夏シャツ」。といってもいろいろだが、この場合は下着としての白いシャツだろう。昔はTシャツなんぞという洒落たものはなかったので、暑い日中はたいてい下着のシャツ一枚で遊び回っていたものだ。そんなシャツ姿の少年の右肩のところが裂けている。何かに引っ掛けた拍子に裂けたのか、喧嘩でもしてきたのか。「裂けにけり」と句は現在完了形で、いかにも作者の眼前で裂けたかのような書きぶりだが、実際にはもう既に裂けていて、あえてこうした表現にしたのは、裂け方の生々しさを強調したかったからだ。このときの少年の姿は、単なる悪ガキのイメージを越えて、子供ながらにも精悍な男の気合いを感じさせている。とにかく、カッコウがよろしいのである。いましたね、昔はこういう男の子が……。ところで下着のシャツといえば、現在の普段着であるTシャツも、元来はGI(米兵)専用の下着だったことをご存知だろうか。まだ無名だった若き日のマーロン・ブランドが、『欲望という名の電車』のリハーサルに軽い気持ちでそれを着ていったところ、エリア・カザンが大いに気に入り本番でも採用することにした。で、映画は大ヒットし、昨日までの下着が、以来外着としての市民権を得ることになったというわけである。ほぼ半世紀前、1947年のことだった。『俳句歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 2372005

 定年の無位のアロハの涼しけれ

                           久本十美二

語は「アロハ」で夏、「夏シャツ」に分類。古い歳時記を読む楽しみの一つは、当該項目の解説に、発刊されたころの時代性を感じることだ。掲句を例句として掲げた新潮文庫版(初版・1951年)には、こうある。「夏着るシャツの一種。派手な模様のある半袖シャツで、裾を短くズボンの上に垂らして着る。ホノルルの中国人が発案し、ハワイで流行したのがアメリカにも移り、戦後日本に入ってきた。若者たちは夏になると盛んに愛用し、また家庭着、海辺着としても人気を博している」。戦後間もなくの記述のようだが、着方まで書いてあるところが微笑ましい。多くの人はまだ、写真や映画では知っていても、実物を見たこともなかったころだったのだろう。実際、私がアロハの実物を初めて見たのも、ずいぶん遅かったような記憶がある。そんな流行の最先端をいっていたアロハを、若者ならぬ定年を迎えた作者が着ている。いま読むとたいした句には思えないけれど、当時はこのことだけでも「おっ」と思わせたにちがいない。もはや「無位(むい)」となった身のせいせいした様子が、まことに涼しそうに伝わってくる。男が派手なシャツを着るなどは、まだ世相に馴染まなかった時代でもあったから、作者は相当に気が若い。と何気なく書いたところで、はっと気がついた。今でこそ定年は六十歳くらいだが、昔は五十歳から五十五歳が普通だったことに……。つまり、作者の実年齢は五十代前半だということになり、現今の定年者よりもだいぶ若かったわけで、となると掲句のイメージをどう修正したらよいのか。よくわからなくなってきた。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫改訂版)所載。(清水哲男)


May 2252008

 魚屋に脚立などあり夕薄暑

                           小倉喜郎

や汗ばむ日中の暑さも遠のき、涼しさが予感できる初夏の夕暮れは気持ちがいい時間帯だ。一日の仕事を終え、伸びやかな気分で商店街をぶらぶら歩く作者の目にぬっと置かれた脚立が飛び込んでくる。その違和感が作者の足を止めさせる。と、同時に読者も立ち止まる。「どうして魚屋に脚立があるのだろう。」ただ、はっとさせるだけでは謎解きが終ったあと俳句の味が失せてしまうが、置かれている脚立にさして深い意味はないだろう。それでいてやけに気になるところがこの句の魅力だろう。その魅力を説明するのは難しいが、脚立から魚屋の様子を思い浮かべてみると、水でさっぱりと洗い流されたタイル張りの床や濡れた盤台が現れてくる。そこに立ち働いていたおじさんが消えて脚立が店番をしているようにも思えておかしい。ある一点にピントを絞った写真が前後の時間やまわりの光景を想像させるのと同様の働きをこの脚立が持っているのだろう。「アロハシャツ着てテレビ捨てにゆく」「自販機の運ばれている桐の花」などあくまでドライに物を描いているようで、「え、なぜ」という問いが読み手の想像力をかきたててくれる楽しさを持っている。『急がねば』(2004)所収。(三宅やよい)


June 2062009

 アロハ着て竜虎の軸を売り余す

                           木村蕪城

ロハシャツといえば、以前は原色で派手で映画でヤクザが着ている、というイメージだった。この句はヤクザというより香具師か。くわえ煙草で、売れ残ったなんとなくあやしい軸を前に、ちっ、とか言ってそうだ。売れ残る、ではなく、売り余す、という表現が、暑かった日中と、夕焼けのやりきれない赤を思わせる。歳時記の解説によると、アロハシャツは終戦後夏服として爆発的に流行したという。最近は、ハワイの正装、といったイメージの方が強いかもしれないが、夏服として渋い色合いのアロハシャツをうまく着こなしている人も見かける。今年八十四歳の父は、今でも週二回仕事で外出するが、通勤時は一年を通じて白い長袖ワイシャツ、ちょっと出かける時はゴルフのポロシャツ、家にいる時はパジャマ、の生活が続いていた。それが数年前、ハワイに旅行した際、「似合うんじゃない」の孫の一言で、アロハシャツを一枚購入。ブルーが基調の渋めの柄である。長身で色黒の父がそれを着ると、どこから見ても日系二世、ハワイの街にとけこんでいたが、今では夏の一張羅、着心地がよいのだそうだ。明日の父の日、近所の天麩羅屋にアロハを着て出かけることになるかもしれない。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 2462010

 アロハシャツ似合へる夫の余生かな

                           木村たみ子

生を辞書で引くと「一生で(最盛期を過ぎて)残った命、生活」とある。いつからを余生と呼ぶのか、それを区切るのはあくまで本人だろうが、会社を退職し、毎日が日曜日という生活になじんでくるとこの言葉が実感として響いてくるかもしれない。現役時代はほとんどの時をネクタイと背広で過ごして、服装には無頓着な男の人も多い。退職して家にいるようになるとどんな格好をして過ごすのだろう。昔だとステテコにシャツのご隠居が夕涼みしている姿が定番として思い浮かぶが、団塊の世代はジーパンとスニーカーであちらこちら駆け回りそう。掲句のアロハシャツは夫自身の好みで選んだのか、家族からのプレゼントか。緑や赤の派手な模様の入ったアロハシャツを着こんで、籐椅子でカメラなどをいじっている夫。最後の「かな」の詠嘆にそのような静かな時間を二人で共有する喜びが表されているように思う。『水の音』(2009)所収。(三宅やよい)


June 1962011

 アロハ着てパスポートどのポケットへ

                           山崎ひさを

の句は、パスポートをどのポケットへ入れたらよいのか迷っているということのようです。海外のリゾート地に到着してすぐに、とにかくアロハシャツに着替えたものの、薄い生地の胸ポケットは、何を入れてもだらしなく下がってしまいます。とはいうものの、このだらしのなさが避暑地に来た目的でもあるわけです。たしかに、海外旅行をしていると、なにか失くしていないかと、四六時中探し物をしているような気分になります。出入国の手続きをしている時でさえ、あれはどのポケットに入れただろうか、これはさっきまでこのポケットに入っていたはずだがと、次々にものを探しているようです。アロハを着ているわけだから、それほどたくさんのポケットがついているわけでもないのに、いざ必要となったその時には、パスポートを探すために大騒ぎで両手は、ポケットの底を探し回ります。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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