May 3052000

 忽ちに雑言飛ぶや冷奴

                           相馬遷子

言(ぞうごん)が飛ぶというのだから、酒盛りの図だ。すなわち、酒の肴としての「冷奴」。酒の場に季節物の「冷奴」が出されたことで、みんなが大いに愉快を覚え、忽ち(たちまち)べらんめえ調も飛び出す楽しい座となった……。この句は、いろいろな歳時記に登場してくる。目にするたびに、内心、どこがよいのかと目をこすってきた。ささやかな「冷奴」ごときに、なぜこんなにも男たちの座が盛り上がったのか。謎だった。ところが最近、山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川ソフィア文庫)を読んでいて、謎ははらりと解けることになった。句が作られたのは、戦後も一年目の夏。場所は函館。詞書に「送迎桂郎」とあり、座には戦災で家を失った石川桂郎がいた。「べらんめえ」の主は、おそらく桂郎だろう。すなわち、ひどい食料難の時代で、豆腐はとんでもない「貴重品」だったのである。それが、夢のように目の前に出てきた。愉快にならずにいられようか。各歳時記の編纂者や編集者たちは桂郎や遷子らと同世代か少し上の世代だったので、句はハラワタにしみとおるように理解できたことだろう。だから、かの時代の記念碑的な作品として、誰もが自分の歳時記にそっと残しておきたかったのである。「冷奴」よ、もって瞑すべし。(清水哲男)




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