May 2852000

 されど雨されど暗緑 竹に降る

                           大井恒行

季句。この句については、十五年前の初出句集に寄せた拙文があるので、そのまま書き写しておきたい。いささかキザですが……。「この鮮烈なイメージは、そのまま私の少年時代につながってしまう。竹薮を控えた山の中の粗末な家。裏山で脱皮をつづける竹の音を聞きながら、私はあらぬことばかりを考えていたようだ。雨が来ると、はたして妄想は募ったのである。そしてその妄想は、暗い緑のなかでつめたく逆上するのが常であった。不健康というにはあたるまい。むしろ妄想は、少年において健康の証ではないのか。妄想の力を伸ばしきったところに、見えていたもの。もはや少年でなくなった者は、かつてそうして見えていたものの、いわば貯金の利子をあやつって、質素に散文の世を生きていくしかないのだと恩う。晴れた目に、精神のバランスを取る。その秤を手に入れたのは少年の日であったことを、むろん大井恒行も承知している」。このページの読者にわからないのは「晴れた目に、精神のバランスを取る」の部分だろうが、拙文の前段で、句は雨降りの日にではなく、逆に「晴天」のもとで書かれたのではないか。「鏡の裏に、ひとは詩を発見するものであるらしい」と、そんな私の推測を受けた文章である。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)




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