May 2052000

 そもそものいちぢく若葉こそばゆく

                           小沢信男

もそも私たちが若葉や青葉というときに、たいがいは樹木についた新葉をひっくるめてイメージするはずである。ほとんど「新緑」と同義語に解している。いちいち、この若葉は何という名前の木の葉っぱで……などと区別はしないものだ。なかに「柿若葉」や「朴若葉」と特別視されるものもあるけれど、それはそれなりの特徴があるからなのであって、まさか「いちぢく」の葉を他の若葉と景観的に切り分けて観賞する人はいないだろう。そこらへんの事情を百も承知で、あえて切り分けて見せたところに句の妙味がある。誰もが見る上方遠方の若葉を見ずに、視線を下方身近に落として、そこから一挙に「そもそも」のアダムとイヴの太古にまで時間を駆けのぼった技は痛快ですらある。「そもそも」人類の着衣のはじまりは、かくのごとくにさぞや「こそばゆ」かったことだろう。思わずも、日頃関心のなかったいちぢくの葉っぱを眺めてみたくなってしまう。ただし、この諧謔は俳句だから面白いのであって、例えばコント仕立てなどでは興ざめになってしまうだろう。俳句はいいなア。素朴にそう感じられる一句だ。ついでだけれど、同様に青葉の景観を切り分けた私の好きな一茶の句を紹介しておきたい。「梅の木の心しづかに青葉かな」。梅の青葉です。言われてみると、たしかに「しづか」な心持ちになることができます。『んの字』(2000)所収。(清水哲男)




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