May 1852000

 氷菓舐め暢気妻子の信篤し

                           清水基吉

じ年(1956年・昭和31年)の句に「門前の水温む貧躱し得ず」がある。「躱し」は「かわし」。作者は芥川賞受賞作家であったが、いまとは違い経済的に恵まれることもなく「昭和卅年の頃から生活に行きづまり、右往左往して感情また定まらぬところがあった。妻子をかかえて、居處を輾々とし……」という記述が句集の後書きに見える。一家の主人たるもの、お手上げの図だ。そんな主人の気持ちなど露解さない様子で、妻子がアイスキャンデーを暢気(のんき)に舐めている。作者もまた、暢気そうに舐めている。が、この一見明るい構図は辛いのだ。すなわち妻子に「こいつらめが」と思うと同時に、「こいつらめ」は俺を全面的に信頼しているのだなと感じていて、ますますプレッシャーの度合いが強くなってくる。「こいつら」のために、早くなんとかしなければと焦る気持ちが高じている。昔の男は大変だった。いや、いまだってまだ、さして事情は変わっていないだろう。どのみち、こうした家族の経済構造は崩れていくのだろうが、そんな暢気な一般論はさておき、目前の生活を少しでもよくするために今日も焦っている男たち。もとより私もその一人であり、ひたすら生活のためにのみ働くことの苦さを、この句につくづくと思う。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)




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