May 1452000

 母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字

                           川本けいし

の場合は「亡母」も「はは」と読むほうがよいだろう。母の日。亡き母を思い出すよすがは、むろん人さまざまだ。作者はそれを、母親が記した壺の文字に認めている。子供のころから台所にある、ごくありふれた壺に書かれた文字が母のテであったことを、いまさらのように思い出している。「しほ」という旧仮名づかいも懐しい。現代のように容器にバラエティがなかった昔、誰もが実によく分別するための文字を書いていた。そうしておかないと、塩壺も砂糖壺も味噌壺も、どれがどれやら判別がつかなくなってしまうからだ。私の祖母の年代までは、どこの家庭でもそうしていた。そのころの女性の失敗談に、よく塩と砂糖を間違えたという話が出てくるが、おおかたは壺の文字を確認せずに、勘に頼ってしまったせいである。そんな馬鹿な、見ればすぐにわかるじゃないか。そう思うのは現代人の幸福(かつ浅薄)なところで、精製方法が雑ぱくだった時代には、ちょっと見たくらいで「塩」と「砂糖」の区別などつきようもなかったのだ。母親が亡くなり、「しほ」の文字だけが残った。作者は、あらためて台所でしみじみと見入っている。なによりの追悼であり、なによりの遺産である。『俳句歳時記・新版』(1974・角川文庫)所載。(清水哲男)




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