May 1152000

 朱欒咲く五月となれば日の光り

                           杉田久女

書に「出生地鹿児島 六句」とある冒頭の一句。久女は、幼児期を鹿児島で過ごした。父親は鹿児島県庁に勤務する役人だったというから、まずは良家の子女と言えるだろう。句は、久女が四十路に入ってから、往事を懐しく追想したものだ。誰か、故郷を想わざる……。残念なことに、私は朱樂(ザボン)の花を見たことがない。白色五弁花で、香り高い花だという。見たことはないけれど、南国特有の紺碧の空を背景に白い花が咲いている様子は、想像できる。はたして三歳か四歳の久女に、幼児期の正確な記憶があったのかどうかは別にして、五月の「日の光り」とともにあった幸福な時期を追想した気持ちもよくわかる。清々しい句だ。「幼児期にこそ生命の躍動(エラン・ヴィタル)がある。黄金時代がある」と言ったのは、誰だったか。花の記憶とともに小さかった頃をしのべるというのは、やはり女性に固有の才質だろう。私などには、花の記憶のかけらもない。あるのは、飛びまわっていた蜻蛉だとか蝙蝠だとか、あるいは地を這っていた蜥蜴だとか蝦蟇だとか……。色気のない話である。『杉田久女句集』(1952)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます