May 0752000

 遠足をしてゐて遠足したくなる

                           平井照敏

読、膝を打った。こういう思いは、私にも時々わいてくる。こんな気持ちには、何度もなった覚えがある。映画を見ているのに映画が見たくなったり、酒の席で無性に酒が飲みたくなったりするのだ。実際にはその行為のなかにあるというのに、なおその行為の別のありように魅かれてしまう。そう言えば、恋愛中には必ず恋愛をしたくなるという友人の話を聞いたこともある。どういうことだろうか。図式的に言えば、現実と理想とのギャップのしからしむるところなのだろう。楽しみにしていた遠足にいざ出かけてみると、こんなはずじゃなかった、もっと楽しいはずなのにと思ううちに、現実の行為が空虚になっていく。空虚になった分だけ、現実を認めたくなくなる。だんだん、こんなのは遠足じゃないと自己説得にかかりはじめる。そして、ああ(本当の)遠足に行きたいなあと思ってしまうのだ。「旅行の楽しさは準備段階にある」と言ったりする。準備段階にあるうちの理想は、実行段階での現実に裏切られることはないからだ。この種の思いは、現実をまるごと受け入れたくない気質の人に、多くわいてくるのだろう。いわゆる「気の若い人」に、特に多いのではあるまいか。「俳句研究」(2000年5月号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます