May 0352000

 新緑に吹きもまれゐる日ざしかな

                           深見けん二

薫る季節。しかも、今日は極上の天気である。新緑の葉のそよぎが、ことのほかに美しい。日ざしを乱反射してキラキラと光る新緑の様子は、いつまでも見飽きるということがない。それを作者は、風に新緑の木の葉が吹きもまれているのではなく、「日ざし」が若い木の葉のそよぎに「もまれゐる」のだと詠んでいる。ほとんど風を言わずに、句の中心に風の存在を言っている。だから一見すると、才知の瞬間的な勢いでこしらえた句のようにも思えるが、そうではない。深見けん二の「ものに目を置く時間の長さ」(斎藤夏風)が、じっくりと対象を発酵させてから、あわてず騒がずに落ち着いて採り入れた世界なのだ。たとえ同様の発想は獲得しえても、芸達者な才気煥発型の詠み手だと、なかなかこう静かにはおさまらないだろう。対象をしっかりと見据え、見据えているうちに、ぽとりと表現が手のひらに落ちてくる……。虚子直門の作者の句風は一貫してそのようであり、この俳句作法そのものが読者の心をしっかりと捉えて離さない。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)




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