April 2742000

 うららかや袱紗畳まず膝にある

                           久米三汀

の置けない茶会の席である。茶碗を受けたあとの袱紗(ふくさ)が、畳まれずにずっと膝にあるという図。いかにうちとけた茶会とはいえ、普段ならきちんと畳むところだ。つい畳まずにあるのは、この麗かさのせいなのだと……。三汀(久米正雄)は十代より俳人として名を知られたが、途中から小説に転じて成功をおさめた。と言っても、今日彼の小説を読む人がいるかどうか。同じ鎌倉に住んだ永井龍男に簡潔な人物スケッチがあるので、引いておく。「明治大正を通じて、狭い世界に閉じ籠っていたわが国の文学・文学者は、大正期の末頃からにわかに社会性を帯びたが、久米正雄は当時の文壇を代表して一般社会に送り出された選手であった。派手な才能人であっただけに、文学者として社会人として常に毀誉褒貶の中にいた。人前では微笑を絶やさず明朗な人であったが、傷つくことも多く、苦渋に顔をゆがめて独居するさまを、その自宅で私はしばしば見た。俳句は、そのような鬱を散じるためにあった。三汀の句は紅を紅、青を青と云い極める華麗さに特徴があった。句座での三汀は純粋であった」(『文壇句会今昔』1972)。また、相当な新しがり屋でもあり、放送をはじめたばかりのラジオを聞くために、自宅に巨大なアンテナをおっ立てた話を随想で読んだことがある。今ならば、間違いなくパソコンにのめりこんでいただろう。「文藝春秋」(1937年4月号)所載。(清水哲男)




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