April 21 2000
暗殺の寝間の明るさ蝶の昼
守屋明俊
俳句お得意の明暗対比の技法。どこだろうか。かつて歴史的な暗殺事件のあった家屋が公開されており、観光名所のようになっている。暗殺現場であったという寝間に入ってみると、とても伝えられるような陰惨な殺しがあった部屋とは思えない。説明の人が柱や欄間に残る刀傷を指さしたりしてくれるのだが、なんとなく腑に落ちるような落ちないような……。真昼の明るさが、暗殺の生臭さを遮るのだ。加えて、暗殺の政治的有効性がゼロになった現代という時代性が、かつての暗殺理解を拒むからでもある。部屋の障子は大きく開け放たれ、明るい庭に目をやると、蝶がひらひらと春風に流れているのが見える。どなたにも、きっと同種の体験はおありだろう。私など、こうした建物や部屋に入ったときにいつも感じるのは、昔の人(大昔からつい五十年ほど前までの大人たち)の平均的な背丈の小ささだ。「五尺の命ひっさげて」とある戦前の歌を証明するように、玄関からして首を縮めて入らないとゴツンとやりそうになる。だから、現代人はとてもあんなに小さな空間で刀なんぞは振り回せないだろう。心理的にはそういうことも働いて、史実の暗さや生臭さはいっそう遠のいてしまうのかもしれない。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)
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