April 1942000

 木蓮や母の声音の若さ憂し

                           草間時彦

ぶん、これは男の心だけに起きる「憂し」だろう。木蓮が咲いた。木蓮は、大きな蕾を得てからも、なかなか簡単には花開かない。今日か明日かと待ちかねていた母が、庭から「ねえ、咲いたわよ。見にきなさいよ」と、はしゃいだ声で作者に呼びかけてきた。彼女の声音は妙に若々しく、そこで作者の気持ちに微妙な憂鬱の影が走る。老いた母に、未だ残っている若い女の性。敏感にそれをかぎ当てて、一瞬「いやだな」と思ったのだ。大袈裟に言えば、母の声に母子相姦への誘いのようなニュアンスを聞き取った……。もとより、母は無意識だ。その無意識がたまらない。たいていの男は、幼時から母を性の外に置いて聖化して生きていく。嘘か誠かは知らねども、よく若い娘が「父親のような人と結婚したい」などと公言したりするけれど、嘘でも男はそういうことは口にできない生き物である。だから、母の側にも一瞬たりとも性的な存在であられては困惑してしまうのだ。どう反応したらよいのか、うろたえることになる。「木蓮」といういささか官能的な感じのする花を配して、句は見事に男の精神的な性の秩序のありようを描いてみせている。深読みではない、と思う。それ以外に「憂し」の根拠は思い当たらぬ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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