April 17 2000
天が下に風船売となりにけり
三橋鷹女
季語は「風船」で、春の句。作者自身が「風船売」になったのではない。そのようにも読めるが、街で「風船売」を見かけて、すっと自分の心を重ねて詠んだ句だ。ただし、重ねたとはいっても、境遇や存在そのものを重ねたのではなく、「なりにけり」という感慨の部分で「風船売」と自分とを重ね合わせている。平たく言えば、彼は「風船売」、こちらは「俳句売」、いずれにしても「なりにけり」なのであり、もはや「風船売」も「俳句売(俳人)」も後戻りはできない。人生、お互いに取り返しはつかないのである。どちらの職業がどうなどと、言っているわけでもない。もはや、これまで。お互いに、ほとんど空気を売っているようなもので……と、いささかの自嘲も込められている。この句の諧謔性(飄逸味)を高く評価する人もいるけれど、諧謔を越えたなにやらしんみりとした味わいのほうへと、私の感受性は自然に動いてしまう。どんな職業の人であろうとも、いつしか「なりにけり」の感慨を持ちはじめるだろう。その職業に、満足しているかどうかは別問題だ。人生はおそらく「なるようにしかならぬ」のではなくて、結局は「なりにけり」にしか「ならぬ」のである。掲句は、そういうことを言おうとしている。『白骨』(1952)所収。(清水哲男)
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