March 2932000

 下萌にねじ伏せられてゐる子かな

                           星野立子

の子の喧嘩だ。取っ組み合いだ。「下萌(したもえ)」というのだから、草の芽は吹き出て間もないころである。まだ、あちこちに土が露出している原っぱ。取っ組み合っている子供たちは、泥だらけだ。泥は、無念にも「ねじ伏せられてゐる」子の顔や髪にも、べたべたに貼りついているのだろう。それだけの理由からではないが、どうしても「ねじ伏せられてゐる」子に、目がいくのが人情というもの。通りかかった作者は「あらまあ、もう止めなさいよ」と呼びかけはしたろうが、その顔は微笑を含んでいたにちがいない。元気な子供たちと下萌の美しい勢いが、春の訪れを告げている。取っ組み合いなど、どこにでも見られた時代(ちなみに句は1937年の作)ならではの作品だ。句をじっと眺めていると、この場合には「ゐる」の「ゐ」の文字が実に効果的なこともわかる。子供たちは、まさに「ゐ」の字になっている。これが「い」では、淡泊すぎて物足りない。旧かなの手柄だ。私も「ねじ伏せられたり」「ねじ伏せたり」と、短気も手伝って喧嘩が絶えない子供だった。去年の闘魂や、いま何処。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)




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