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March 1932000

 枕頭に陽炎せまる黒田武士

                           高山れおな

田武士は、言うまでもなく「酒は飲め飲め……」の「黒田節」に出てくる福岡は黒田藩の豪傑だ。歌われているのは、母里 (もり)太兵衛なる人物。大杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干したことから、小田原攻めの功績で福島正則が秀吉から拝領した名槍を褒美にもらったという、イッキ飲みの元祖である。若年のころの私は、「日の本一のこの槍を、飲み取るほどに」とは変な歌詞だなと思っていた。槍が飲めるのか、比喩にしても無理がある、と。でも、何のことはない。「飲んで、(その結果として)取る」という意味だったのだ。句は「飲み取った」あとの太兵衛の様子を詠んでいる。この着眼が面白い。さすがの酒豪もマイってしまって、明るくなっても起きられずにグーグー眠っている。既にして日は高く、何やらもやもやと怪しいゆらめき(陽炎)が、太兵衛の枕頭に迫っているではないか。素面(しらふ)であればすぐさま跳ね起きるところだが、ただならぬ気配を察知することもなく、いぎたなく眠りこけている黒田武士……。春ですなあ、という感興だ。ちなみに「黒田節」が全国的に有名になったのは、 1943 年に赤坂小梅がレコードに吹き込んでから。雅楽「越天楽(えてんらく)」の旋律が使われている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


April 2242002

 陽炎や荷台の犬の遠ざかる

                           古澤千秋

語は「陽炎(かげろう)」で春。軽トラックの「荷台」だろうか。私の好みでは昔のオート三輪あたりのそれがふさわしいと思えたが、とにかく「犬」がちょこんと乗っているのだ。この場合、荷台には他の荷物が何も無いほうが良い。引っ越し荷物の隙間などに犬がいるよりは、空っぽの荷台に大人しくうずくまっているほうが「あれっ」と不思議を感じさせられるからだ。運転している飼い主が乗せたのだろうけれど、どう見ても引っ越しではなさそうだし、となれば、何故犬が荷台に乗っているのか。目撃してそう思った次の瞬間には、もう車は発進してしまい、車も犬もゆらめく陽炎のなかに溶けるようにして遠ざかって行った。白日夢と言うと大袈裟になるが、なんだかそれに近い印象を受ける。こういう句を読むと、つくづく「俳句なんだなあ」と思う。こういうことは会話で伝えることも難しいし、散文でもよほどの描写力がないと伝わらないだろう。つまり、ナンセンスを伝えようとするときの困難なハードルを、俳句様式は楽々と越えてしまえるというわけだ。かくのごとき些事を良く伝え、しかも読者にしっかりとイメージづけてしまうところが凄い。むろん、これらのことをよく承知している作者の腕の冴えがあっての上の話だが……。ちなみに、陽炎は英語で「heat haze」と言うようだ。直訳すると「熱靄」かな。英語のほうが理屈的にはより正しいのだろうが、感覚的には「陽炎」の命名のほうがしっくりとくる。俳誌「ににん」(2002年春号・vol.6)所載。(清水哲男)


March 2732008

 陽炎を破船のごとく手紙くる

                           仁藤さくら

らゆらと向こうの景色が揺れる陽炎は、陽射しに暖められた地面から立ち上る空気に光が不規則に屈折して起こる現象。家の回りを取り囲んでいる陽炎の波を渡ってやってきた角封筒の手紙が郵便受けにことんと落ちる。「破船」という表現には、ずっと待っていた手紙が送り先不明で迷ったあげくにやっと自分の元へ届けられたというより、思いがけなく受け取った手紙といったニュアンスが強いように思う。ずっと以前に心の中で別れを告げて離れてしまった場所や親しく交わっていた人々、そうした過去の知り合いから受け取った手紙だろうか。その人たちの暮らしてきた時間と自分が過ごしている時間のズレに手紙を受け取った作者のとまどいも感じられる。漂流の果てに船が行き着いた孤島に静寂があり、緑深い森があるように、陽炎の波で隔てられた世界と作者が住む場所にはまったく違う時間が流れている。現実から考えれば送り主から受取人まで一日か二日の時間であっても、その断絶を乗り越えてやってくる手紙には途方もなく長い時間が込められている。と、同時に陽炎の波を渡るときには破船だった手紙が作者の手に落ちた途端、真っ白な手紙に姿を変えたようで、春昼が持っているかすかな妖気すら感じられる。『Amusiaの鳥』(2000)所収。 (三宅やよい)


May 0652008

 肉の傷肌に消えゆくねむの花

                           鳥居真里子

が自然に治癒していく様子、といってしまえばそれまでのことが、作者の手に触れると途端に謎めく。血の流れていた傷口がふさがり、乾き、徐々に姿を変え、傷痕さえ残さず元の肌に戻ることを掲句は早送りで想像させ、それはわずかにSF的な映像でもある。外側から消えてしまった傷は一体どこへいくのだろう。身体の奥のどこかに傷の蔵のような場所があって、生まれてから今までの傷が大事にしまい込まれているのかもしれない。一番下にしまわれている最初の傷は何だったのだろう。眠りに落ちるわずかの間に、傷の行方を考える。夜になると眠るように葉が閉じる合歓の木は、その名の通り眠りをいざなう薬にもなるという。習性と効用の不思議な一致。同じ句集にある〈陽炎や母といふ字に水平線〉も、今までごく当然と思っていたものごとが、実は作者の作品のために用意された仕掛けでもあるかのようなかたちになる。これから母の字の最後の一画を引く都度、丁寧に水平線を引く気持ちになることだろう。明日は母の誕生日だ。〈幽霊図巻けば棒なり秋の昼〉〈鶴眠るころか蝋燭より泪〉『月の茗荷』(2008)所収。(土肥あき子)


April 1542009

 甕埋めむ陽炎くらき土の中

                           多田智満子

ゆえに甕を土のなかに埋めるのか――と、この場合、余計な詮索をする必要はあるまい。「何ゆえに」に意味があるのではなく、甕を埋めるそのこと自体に意味があるのだ。しかし、土を掘り起こして甕をとり出すというのではなく、逆に甕を埋めるという行為、これは尋常な行為とは言いがたい。何かしら有形無形のものを秘蔵した甕であろう。あやしい胡散臭さが漂う。陽炎そのものが暗いというわけではあるまいが、もしかして陽炎が暗く感じられるかもしれないところに、どうやら胡散臭さは濃厚に感じられるとも言える。陽炎ははかなくて頼りないもの。そんな陽炎がゆらめく土を、無心に掘り起こしている人影が見えてくる。春とはいえ、土のなかは暗い。この句をくり返し眺めていると、幽鬼のような句姿が見えてくる。智満子はサン=ジョン・ペルスの詩のすぐれた訳でも知られた詩人で、短歌も作った。俳句は死に到る病床で書かれたもので、死の影と向き合う詩魂が感じられる。それは決して悲愴というよりも、持ち前の“知”によって貫かれている。157句が遺句集『風のかたみ』としてまとめられ、2003年1月の告別式の際に配られた。ほかに「身の内に死はやはらかき冬の疣」「流れ星我より我の脱け落つる」など、テンションの高い句が多い。詩集『封を切ると』付録(2004)所収。(八木忠栄)


April 1542011

 陽炎へばわれに未来のあるごとし

                           安土多架志

るごとしとは、無いということだ。37歳で夭折した多架志の最晩年の句。多架志はキリスト者で、しかも神学部出ということで医者はすべてを告知していたから正確な病状を知り得たのだろう。田川飛旅子には「日が永くなるや未来のあるごとく」もあった。どちらも切実で悲観的だが、ふたりともキリスト者であったので救済を信じれば本来楽観的であるはずなのにと思われ興味深い。ことに多架志の句は明るい陽炎が背景に置かれているので余計に切迫した作者の現状が思われる。『未来』(1984)所収。(今井 聖)


March 2932012

 陽炎の広場に白い召使

                           冬野 虹

炎は春のうららかな陽射しに暖められた空気に光が不規則に屈折したためにおこる現象。「召使」という言葉から考えるとこの場所は駅前広場や公園のやや広い芝生といった日本の風景ではなく、ヨーロッパの街の中心部にある広場に思える。城壁に囲まれた中世の街の中心部にある広場は時に処刑や祭りが催された政治的中心地。強固な石造りの建築物や石畳だからこそ、その揺らぎは見るものの不安をかきたてる。その凝視が、「白い召使」といった不思議な形容を生み出したのだろうか。あるようでない、いないようでいる。陽炎を媒介に日常を突き抜ける作者の視線が幻想的な世界を作り出している。『雪予報』(1988)所収。(三宅やよい)


March 2432016

 陽炎へわたしの首を遊ばせる

                           小枝恵美子

炎は空気が不均一に暖められて空気に歪みが生じる現象。春の季語になっているのだけど都会生活であまり遭遇したことはなくて、私にとっては観念の現象に近い。考えれば不気味な句である。ろくろ首のように自分の首がにょろにょろ伸びていって地面に揺らめく陽炎に波乗りするかのように浮き沈みしている。そしてそれを見ているのも自分なのだから。春はぬるんだ空気に時間や空間がだらしなく溶けてしまいそうで、何が起こっても「ああ、春だからね」と納得してしまう雰囲気が漂っている。そんな昼に自分の首を切り離して陽炎に遊ばしてしまう掲載句は気持ち悪くも痛快だ。『ベイサイド』(2009)所収。(三宅やよい)




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