March 1632000

 水温む赤子に話しかけられて

                           岸田稚魚

魚、最晩年(享年は七十歳だった)の句。「赤子」は身内の孫などではなく、偶然に出会った他家の赤ちゃんと解したい。少年時代から壮年期にいたるくらいまで、とりわけて男は、こうした場面には弱いものだ。たまたま電車やバスのなかで、乗りあわせた赤ちゃんと目があったりすることがある。オンブやダッコをしている母親はあっちの方を向いているので、赤ちゃんはこっちの方に関心を抱くのだろう。ときに声をあげて、なにやら挨拶(?)してくれるのだが、当方としては大いにうろたえるだけで、とても返答することなどできはしない。といって、むげに目をそらすわけにもいかないので、曖昧な笑いを浮かべたりするだけ。なんとも、情けない気分。しかし妙なもので、五十歳にかかったあたりから、だんだんと小声ながらも、そんな赤ちゃんに応接ができるようになってくる。応接していると、むしろ嬉しくなってくるのだ。いまは、このことの心身的な解釈はしないでおくが、句の眼目は自然の「水温む」よりも、作者自身の「気持ちの水」が「温む」ことで「春」を感じているところにある。遺句集『紅葉山』(1989)所収。(清水哲男)




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