March 1132000

 落第も二度目は慣れてカレーそば

                           小沢信男

語は「落第」で春。変な季語もあったものだが、学校の社会的位置づけが高かった時代の産物だ。いうところの「キャリア」を生み出すためのシステムだけに、逆に落伍者も大いに注目されたというわけである。落第した当人は、一度目はがっかりしてショボンとなるが、二度目ともなるとあきらめの境地に入り、暢気にカレーそばなんかを食っている。それでも、ザルそばなんかじゃなく、少しおごってカレーそばというあたりが、いじらしい。自分で自分を慰めているのだし、甘やかしてもいるからだ。私も、大学で二度落第した。一度目は絶対的な出席日数不足。二度目は甘く見て、田中美知太郎の「哲学概論」を落としたのが響いた。句の通りに、二度目でも確かに「慣れ」の気分になるものだ。学費を出してくれている父親の顔はちらりと思い出したが、深く落ち込むことはなかった。同病相哀れむ。同じ身空の友人たちと酒を飲みながら、「このまま駄目になっていくのかなあ」とぼんやりしていた。後に大学教授になる友人に「おまえらは怠惰なんや」と言われても、一向にコタえなかった。落第生には、優等生が逆立ちしてもわかりっこない美学のようなものが、なんとなくあるような気すらしていたのだ。石塚友二に「笛吹いて落第坊主暇あり」がある。「暇」は「いとま」。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)




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