G黷ェ句

March 0532000

 準急のしばらくとまる霞かな

                           原田 暹

急に乗っているのだから、長旅の途中ではない。ちょっとした遠出というところだ。ポイントの切り換えか、後からの急行を追い抜かせるためか、いずれにしても、数分間の停車である。急いでいるわけでもないので、春がすみにつつまれた周辺の風景を、作者はのんびりと楽しんでいる。急行だったら苛々するところを、準急ゆえの、この心のゆとり。車内もガラガラに空いていて、快適な環境だ。こんなときに私などは、どうかすると、このままずうっと停車していてほしいと思うときがある。時間通りに目的地に着くのが、もったいないような……。都会の「通勤快速」だとか「快速電車」だとかは、命名からしてあわただしい感じだけれど、「準急」とはよくも名付けたり。名付けた人は、単に「急行」に準ずる速さだからと散文的に考えたのだろうが、なかなかにポエティックな味がある。同じ作者に「折り返す電車にひとり日永かな」もあって、ローカル線の楽しさがにじみ出ている。「鉄道俳句」(?!)もいろいろあるなかで、地味ながら異色の作品と言ってよいだろう。ああ、どこかへ「準急」で行きたくなってきた。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


March 1132001

 森霞む日付けの赤き日曜日

                           櫛原希伊子

あ、絵になっている。読んだ途端に、実景というよりも、絵を感じた。それも、コンピュータ・グラフィックスで描いたような絵。カレンダーの日曜日の赤い「日付け」が前面にあり、それを通して遠くの森が霞んで見えている。下手くそながら、私はコンピュータの「お絵書きソフト」が好きなので、ついそう思ってしまったのだが、もとより作者にその意識はないはずだ。が、コンピュータを外しても、「日付けの赤き日曜日」というフィルターを通して森を霞ませたところには、モダンなデザイン感覚を感じる。自註で作者が書いているように、日曜日を「赤」としたのは誰なのだろうか。なぜ「赤」なのか。いつごろから行われてきたのだろうか。床屋さんでくるくる廻っている標識の「赤」は動脈、「青」は静脈を意味するそうだが、やはり人体に関連した比喩としての色彩なのだろうか。そう言えば、祝日も「赤」であり、最近のカレンダーでは土曜日も「赤」にしているものも見かけるが、これらは単に日曜日が「休み」という意味からの流用であって、本義の「赤」とは関係はないだろう。でたらめな本義の推測をしておけば、キリストが復活した安息日の日曜日にちなんでの「赤」なのかもしれない。すなわち、十字架で流された血の色だ。ユダヤ教での安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までだから、このあたり、ユダヤ教でのカレンダーでは何色なのだろう。たまたま手元にある中国のカレンダーでも、日曜日は「赤」で表示されている。となれば、宗教とは関係がないのかな。ともあれ、今日は「日付けの赤き日曜日」です。よい一日でありますように。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


April 0942002

 煎餅割つて霞の端に友とをり

                           藤田湘子

語は「霞(かすみ)」で春。気象用語ではないが、水蒸気の多い春に特有の、たなびく薄い雲を総称して霞と言う。当今のスモッグも、また霞だ。句の霞は実景だとしても、「友とをり」はフィクションだと思った。「煎餅(せんべい)」を食べながら遠くの霞を眺めるともなく眺めているうちに、ふっと遠い日のことを思い出した。そう言えばあいつとは、このような麗らかな春の日によく野山に遊んで、煎餅一枚をも分け合った仲の竹馬の友であったと……。その後、別れ別れになってしまったが、いまごろはどうしているだろう。元気でやってるかなあ。貧しかったが、楽しかった子供時代の追想だ。しかし、ひょっとすると、これはその友人の追悼句かもしれない。「霞の端」という措辞が、そういう可能性を読者に思わせる。霞の端は、もとよりぼんやりしている。しかも、空中に浮いている。そこに子供が二人ちょこんと腰掛けている絵を描けば、もはやこの世の情景ではない。さながら天国のような世界だからだ。そのように読めば、この煎餅を割るかそけき音もにわかに淋しく聞こえ、句全体がしいんと胸に迫ってくる。『白面』(1969)所収。(清水哲男)


May 0752002

 榛名山大霞して真昼かな

                           村上鬼城

榛名山
週の土曜日、群馬の現代詩資料館「榛名まほろば」に少し話をしに行った。会場の窓からは、赤城・妙義と並ぶ上毛三山の一つである榛名山が正面に望見された。土地の人に聞くと、春から初夏にかけてのこれらの山は靄っていることが多く、なかなかくっきりとは見えないそうだ。この日もぼおっと霞んでいた。そこでこの句を思い出し、真昼のしんとした風土の特長を正確かつおおらかに捉えていると納得がいった。鬼城は榛名にほど近い高崎の人だったから、常にこの山を眺めていただろう。旅行者には詠めない深い味わいがある。ところで「榛名まほろば」は、詩人の富沢智君が私財を投じて作った施設だ。設立趣旨に曰く。「現代詩にかかわる人なら誰もが一度は夢見るお店として、開店に向けて動き始めました。喫茶室とイベントスペースを設けた、閲覧自由の現代詩資料館としてオープンする予定です。すでに、各地には立派な文学館が建設されていますが、多くは潤沢な資金と立地とにめぐまれているにもかかわらず、あるいはそれ故に、運営面での柔軟さに欠けるきらいがあるのではないでしょうか。……」。場所は北群馬郡榛東村広馬場で、有名な伊香保温泉から車で15分ほど。高崎からのバスの便もある。全国から寄贈された詩書がぎっしりと並んでいて、背表紙を眺めているだけで現代詩の厚みが感じられた。そして確かに、公共施設にはない自由で伸びやかな雰囲気も。平井照敏編『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 2832003

 弟と日暮れを立てば鐘霞む

                           柴崎七重

語は「霞(かすみ)」で春。「霞」は明るい間のみに使い、夜になると「朧(おぼろ)」である。「立つ」には一瞬戸惑ったが、たたずむのではなく、「出立」の「立つ」であり「発つ」の意だろう。成人した姉と弟。この二人がいっしょに旅立つなどは、めったにないことだ。小津安二郎の『東京暮色』ではないが、葬儀か法事のために、久しぶりに故郷で顔を合わせた。が、どちらも仕事を持っているので、そうそうゆっくりとしてもいられない。帰る方向は途中まで同じだから、いっしょの汽車に乗ろうという話になり、そそくさと出発した。そんな状況が想像される。二人とも、懐かしい故郷にいささか後ろ髪を引かれる思いで帰りかけたところに、これまた懐かしい寺の鐘が響いてきた。折りしも、春の夕暮れだ。それでなくとも感傷的な気分になっているところに、思いがけない追い打ちの鐘の音である。それもぼおっと霞んだように聞こえるのは、もとより作者の心が濡れているからである。幼かったころのあれこれが偲ばれ、今度はいつ来られるだろうかなど、口にこそ出さないけれど、二人の思いは同じである。ただ黙々と歩いている。物語性に味わいのある句だ。ただ、変なことを口走るようだが、二人の関係が姉と弟であるがゆえに、句になったということはあるだろう。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


April 1442003

 棚霞キリンの頸も骨七つ

                           星野恒彦

語は「棚霞(たながすみ)」で春。横に筋を引いたように棚引く霞とキリンの長い首。縦横の長い取り合わせが、まず面白い。句の註に「哺乳類の頸骨はみな七個」とあって、実は私はこれを知らなかった。知らないと「頸(くび)も」の「も」がわからない。そうか、あんなに長い首にも、人間の首と同じように「七つ」の骨しかないのかと思うと、なんだか妙な感じがする。逆に、人間の首に七つも骨があるのかと首筋を触って見たくなる。そんな感じで、作者は何度かキリンを見上げたのだろう。おあつらえ向きに、七つの骨の部分の背景に七つの筋を引いて、霞が棚引いている。と解釈してしまうと、かなりオーバーだけど(笑)。でも、詠まれた環境の理想的な状態は、そのようであればそれに越したことはないのである。あらためて調べてみたら、キリンの身長は肩高3.6メートル、頭頂高5〜5.5メートルほどである。体重ときたら、雄で800〜900キロ、雌で550キロ程度だという。これくらいデカいと、世の中の見え方も相当に違うのだろう。この句は上野動物園で詠まれているが、自慢じゃないが、東京に住みながら、私は一度も入園したことがない。この記録は、もったいなくて破る気がしない。そんなわけで、よくキリンを見たのは、大学時代の大阪は天王寺動物園でだった。そのころは長い首のことよりも、よくもまああんなに涎(よだれ)が垂れるものよと、いつも感心してたっけ。キリンの寿命は20年ほど。だとしたら、もうあのキリンはいない計算になる。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


December 16122006

 猫の耳ちらと動きて笹鳴ける

                           藤崎久を

告鳥(はるつげどり)とも呼ばれるウグイス、その鳴き声といえば「ホーホケキョ」。春まだ浅い頃に繁殖期を迎え巣を作った雄は、その声で雌を誘う。お互いの縄張りを主張し、タカなど大きい鳥を警戒するための谷渡りなど、人が古くから愛でてきたさえづりも、ウグイスにとってはまさに生きぬくためのものだ。やがて夏、ヒナが生まれ、秋を経て若鳥に成長、晩秋から冬にかけて人家の近くにおりてきて「チッチチッチッ…」と小さく地鳴きするのを、笹鳴(ささなき)と呼び、目立ってくるのは冬なので冬季となっている。やはりあたりを警戒するためというが、繁殖期と違い不必要に大きい声は出さない。一方の猫、犬以上の聴力を持ち、20m離れた2つの音源の40cmの差違を聞き分けるという。イエネコといえども狩猟本能は健在、笹鳴きに敏感に反応した瞬間をとらえた一句である。作者は日だまりでのんびりしている猫を見ていたのか、まず猫の耳がかすかに動く。その時、猫だけがウグイスの気配をとらえており、作者は気づいていない。と、次の瞬間小さく笹鳴が聞こえたのだ。動きて、が猫の一瞬の鋭い本能をとらえ、冬の日だまりの風景に余韻を与えている。阿蘇の広大な芒原に〈大阿蘇の霞の端に遊びけり〉という藤崎さんの句碑が建っている。句集『依然霧』の後書きには、阿蘇の自然への敬虔な思いと共に、「造化のまことの姿に自分を求めつつ、一つの道を歩きつづけるつもりである。」という一文が添えられているが、1999年惜しまれつつ亡くなられた。依然霧、三文字の短詩のようだが〈水音のしてきしほかは依然霧〉の一句より。『依然霧』(1990)所収。(今井肖子)


March 0332010

 雛買うて祇園を通る月夜かな

                           若山牧水

日は桃の節句、雛祭り。本来は身体のけがれを形代(かたしろ)に移して、川に流す行事だったという。のちに形代にかえて、雛人形を家に飾るようになった。女児を祝う祭りとなったのは江戸時代中頃から。掲出句は雛を買うのだから、三月三日以前のことである。酒好きな牧水のことゆえ、京の町のどこぞでお酒を飲んでほろ酔い機嫌。買った雛人形を大事に抱えて(いつもなら、酒徳利を大事に抱えているのだろうが)、今夜は月の出ている祇園を、ご機嫌で鼻唄でもうたいながら歩いて帰るところかもしれない。雛人形も、祇園の町も、照る月も、そして自分も、すべて機嫌がいいという句である。滅多にない幸福感。「通る」は一見平凡な表現のように思われるけれど、少々心もふくらんで「まかり通って」いる状態なのかもしれない。この句からは、誰もが「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」(晶子)を想起するかもしれない。しかし、この句の場合は「よぎる」よりも「通る」のほうが、むしろさっぱりしていてふさわしいように思われる。短歌と俳句は両立がむずかしいせいか、俳句を作る歌人は昔も今も少ない。それでも齋藤茂吉や吉井勇、会津八一をはじめ何人かは俳句を残している。牧水の句も多くはないけれど、他に「一すじの霞ながれて嶋遠し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます