February 2722000

 受験期や少年犬をかなしめる

                           藤田湘子

験期の日々の、なんとも名状しがたく、やり場のない重圧感。あの気分は、たぶん受験に失敗した者しか覚えていないのだろうけれど……。あのときに生まれてはじめて、大半の少年(少女)は「誰も助けてくれない」という社会的重圧に直面する。そんなときに心が向かうのは、家族や友人や教師といった人間にではなく、たいていは句のように相手が犬だったりする。犬は「たいへんだねえ」とも言わないし「がんばれよ」とも言わない。いつも通りの態度なので、かえって心が癒されるのだ。生臭くない淡々たる関係が、そこだけにある。いつもと変わらぬ日常性が生きている。その関係のなかで、しかし少年は人間だから、その関係性をいささか毀し加減に相手を「かなし」むということをする。普段よりも、余計に可愛がったりしてしまう。横目で見ている作者は、そのことをまた「かなし」んでいるという句の構造だろう。すなわち、そこが「かなしめり」と平仮名表記されている所以で、このとき「かなしめり」は「愛しめり」であり「哀しめり」でもあり、さらには「悲しめり」でさえあるのかもしれない。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




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