February 2422000

 雛飾りつゝふと命惜しきかな

                           星野立子

十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)




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