February 1822000

 すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる

                           阿部完市

明な孤独感の表出。……と書いてみると、これでよいような、どこか間違っているような。「そこ」は「底」でもあり「其処」でもあるだろう。このとき、太鼓はどんな太鼓なのだろうか。私は、玩具の楽隊が叩くような小さくて赤い太鼓を想像している。大の男がそれを規律正しい足取りで叩きながら通る姿は、かぎりなく狂気に近い正気な行為に見えて、自分の心にも「こういうところがあるな」と納得できる。誰でもが、主にその幼児性において、狂気すれすれの生を生きているのだと思うし、ある日突然、それはかくのごときイメージとなって脳裏に明滅したりする。この句のよさは、妙に文学的に身をやつしていないところであり、加えて暗さが微塵もない点にあるだろう。まさに、単純にして素朴に「すきとおる」のみの世界。この力強さは、一行詩と言えなくもない表現様式に、なお俳句であることを主張している。俳句の修練を通過していない表現者には、このような「ポエジー」は書けないのだ。一読、不思議な世界には違いないが、何度か反芻しているうちに、いつしか我が身になじんでくるという不思議。俳句の力。『にもつは絵馬』(1974)所収。(清水哲男)




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