February 1022000

 風の日の麦踏遂にをらずなりぬ

                           高浜虚子

山の雪を背に、春の日差しを浴びながら麦を踏んでいる姿はいかにも早春らしい。たいがいの歳時記には、こんなふうに出てくる。見ているぶんには確かに牧歌的な光景であるが、踏んでいるほうは大変なのだ。ひたすらに「忍の一字」が要求される。地雷の撤去作業にも似て、細心の注意をはらっての一歩一歩が大切である。いい加減に踏んだのでは、たちまちにして根が浮き上がって株張りが悪くなり、収穫はおぼつかない。理屈としては子供にもできる仕事なのだが、いくら多忙でも、子供にまかせきるような農家はなかった。句は1932年(昭和七年)の作。添書きに「荻窪、女子大句会」とあるから、この麦畑は東京のそれだ。往時の荻窪や吉祥寺、三鷹あたりは、どこもかしこも麦畑だった。早春の関東の風は、ときに激烈をきわめる。土ぼこりのために空の色が変わる日も再三で、つい三十年ほど前までは、目を開けていられない状態におちいるのは普通のことだった。これでは、麦踏みの人も辛抱たまらずに撤退してしまうわけだ。気になって、虚子は女子大(「東京女子大」か)の窓からそんな光景を何度も見ていたのだろう。やっと引き上げていったので、ホッとしている。『五百句』(1937)所収。(清水哲男)




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