February 0222000

 セーターにもぐり出られぬかもしれぬ

                           池田澄子

い当たりますね、この感じ。私の場合は不器用なせいもあり、子供のころは特にこんなふうで、セーターを着るのが億劫だった。脱ぐときも、また一騒ぎ。セーターに頭を入れると、本能的に目を閉じる。真っ暗やみのなかで、一瞬もがくことになるから、余計にストレスを感じることになるのだろう。取るに足らないストレスかもしれないが、こうやって句を目の前に突きつけられてみると、人間の哀れさと滑稽さ加減が身にしみる。そこで思い出すのが、虚子の「死神を蹶る力無き蒲団かな」だ。「蹶る(ける)」は「蹴る」より調子の高い表現。当人は風邪を引いて(虚子は実によく二月に風邪を引く人だった)高熱を発しているので、うなされている。夢に死神が出てきて、そいつを必死に蹶とばそうともがくのだけれど、蒲団が重くて足がびくとも動かない。「助けてくれーっ」と、まるで金縛り状態である。この状態にもまた、思い当たる読者は多いと思う。でも、風邪の熱はいずれ治まる。悪夢も退散する。が、セーターのなかでの一瞬の「もがき」は、ついに治まることはない。「出られぬかもしれぬ」。何の因果か。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)




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