January 3112000

 雪の海底紅花積り蟹となるや

                           金子兜太

面を眺めているだけで、一気にゴージャスな気分になってくる。華麗な句だ。そしてよく読み込むと、繊細な感覚の生きた世界でもある。作者は「海底」を「うみそこ」と読ませている。自註が『兜太のつれづれ歳時記』(1992・創拓社)に載っているので、全文を引いておこう。「北陸海岸の宿に泊まって、蟹を食べた。夕方からまた雪がきて、私は雪降りそそぐ日本海の蒼暗を思いやっていた。すると、その昔、奥羽の地に花開いた紅花(べにばな)を積んで、木造船がこの海原を走っていたことを思い出したのである。紅花は船からこぼれ、海底に積もり、やがて蟹になった。いや、そうにちがいない、とまで思いつつ」。私が、これ以上、つけくわえることは何もない。このイリュージョンは壮大で、実に美しい。今夜の夢に、すぐにでも出てきそうな幻想の世界。金子兜太というと、なんとなく武骨で大振りな俳人と思っているムキもあるようだが、その見方はひどく一面的でしかない。彼の作品を初期から子細に見てくると、根底に一つあるのは、まごうかたなきリリシズムへの純粋な没頭だ。そこに誤解される要素があるとすれば、抒情のスケールが並外れて大きいことからだろう。ガラス細工じゃないということ。『早春展墓』(1974)所収。(清水哲男)




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