January 1912000

 強運の女と言はれ茎漬くる

                           波多野爽波

語は「茎漬(くきづけ)」で冬。大根や蕪の茎や葉を樽に入れ、塩を加えて漬けるだけの簡単な漬物だ。食卓に上がると、その酸味がいっそうの食欲をそそる。じわりとした可笑しみのある句。主婦が茎を漬けているにすぎない写生句だが、わざわざ主婦を「強運の女」としたところが、爽波一流の物言いだ。つまり、わざわざ「強運の女」を持ち出すこともないのに、あえて言ってしまう。そうすると、平凡な場面にパッと光が差す。日常が面白く見える。いつもこんなふうに日常を見ることができたら、さぞや楽しいでしょうね。そして重要なのは、作者が「強運の女」を揶揄しているのでもなければ皮肉を言っているのでもない点だ。ここには、そんな底意地の悪さなど微塵もない。むしろ、たいした「強運」にも恵まれていない女に、「それでいいのさ」と微笑している。爽波は「写生の世界は自由闊達の世界である」と書いているが、その「自由闊達」は決して下品に落ちることがなかった。ここが凄いところ。余人には、なかなか真似のできない句境である。花神コレクション『波多野爽波』(1992)所収。(清水哲男)




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