January 1112000

 寒晴やあはれ舞妓の背の高き

                           飯島晴子

晴。寒中のよく晴れた日。季語のようであるが、これは作者の発明。歳時記での季語は「寒」である。さて、またしても厄介な「あはれ」だ。すらりと背の高い現代娘の舞妓ぶりを見て、「あはれ」と反応しているわけだが、どういう種類の「あはれ」なのだろう。それこそ「すらり」と読んで受けた印象では、どこか危なっかしい美しさに「あはれ」を当てたように思われる。たとえて言えば、寒中に豪奢な芍薬の花を見た感じか。確かに美しいけれど、季節外れだし、いささか丈もありすぎる。伝統美からは背丈ばかりではなく、立ち居振る舞いにおいてもどこか逸脱している。危なっかしい。したがって、美しくも、そして切なくも「哀れ」なのだろう。実は、この句の「中七下五」は秋にできたものだと、講談社『新日本大歳時記』で作者が作句過程の種明かしをしている。大阪のホテルで開かれた出版記念会に、祇園から手伝いに来ていた舞妓を見ての印象だという。「『寒晴』にたどりつくまでパズルのピースを何度入れ替えたことか。季語は、季語以外の部分と同時に絡まるように出てくるのが理想的である。あとからつけて成功するには苦労する。意地で『寒晴』まで辛抱したというところである」。意地を張った甲斐はあり、どんぴしゃりと決まった。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます