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January 0512000

 ひとびとよ池の氷の上に石

                           池田澄子

の水が凍っている。そこまでは何ごとの不思議なけれど、張った氷の上に石があるとなれば、不思議な驚きの世界となる。いずれ誰かが置いたものか、何かの加減で転がり落ちてきたものではあるだろう。だが、こんな光景に出くわしても、多くの人は不思議とも思わないに違いない。立ち止まることはおろか、感覚に不思議が反応しないので、何も気に止めずに通過してしまうだけである。そこでむしろその不思議さに作者は注目し、「ひとびとよ」と呼びかけてみたくなったのだ。実際、私たちが失って久しい感覚の一つは、物事に素直に驚くそれではなかろうか。少々のことでは驚かなくなっており、その「少々」の幅も拡大する一方だ。おそらくは、バーチャルな不思議世界に慣れ過ぎてしまった結果の「鈍感」なのだろう。でも、バーチャルな世界では、本当に不思議なことは何一つ起こらないのだ。そのことを踏まえて句を読み返すと、作者の目が新鮮な驚きに輝いていることがわかる。思わずも「ひとびとよ」と呼びかけたくなった気持ちも……。呼びかけられた一人としては、謙虚に自省せざるをえない。俳誌「花組」(2000年・冬号)所載。(清水哲男)


February 0222006

 零下三十度旭川駅弁声を出す

                           北見弟花

語は「零下(氷点下)」、「氷」に分類。零下三十度。これまでに経験したこともないし、これからもないだろう。いろいろと話には聞くけれど、体験者にしかわからない厳寒である。早朝だろうか。そんな寒さのなかでも、旭川駅ではワゴン車を押して駅弁を売っているという。この句を素直に受け取れば、駅弁が「声」を出していることになるが、おそらくはワゴン車での人の売り声が、あたかも弁当そのものが発しているように聞こえたのだと思う。では、どんな売り声なのだろうか。ネツトとはありがたいもので、ちゃんとここで聞くことができた。一月二十四日の録音だから、まさに厳寒期の売り声だ。よく耳をすまさないと、何を言っているのだかわからない。察するに、とにかく寒さが先にたって、声を発するのが辛そうである。そして一度声を出したら、途切れないように出しつづけないと次が出てこないような感じだ。クラシックな駅弁売り独特ののんびりしたトーンは微塵もなく、せかせかした調子で、ほとんどわめき声のように聞こえてしまう。ただただ「ご苦労さん」と言うしかないが、なるほどこの声は弁当そのものが発していると聞きなすこともできそうである。寒い寒いと、弁当までもが唸っているのだ。想像するに、汽車の窓が開いた時代でも、冬季は客が乗り込まないうちに売るために、こうした声を出しての商売をしていたのだろう。ちなみに、これもネットからの知識だが、旭川駅の弁当販売を一手に引き受けている会社の名前を「旭川駅立売株式会社」と言う。『2006詩歌句年鑑』所載。(清水哲男)


June 2062008

 蹴らるる氷拾ふは素手の舟津看護婦

                           岩田昌寿

常の一瞬が鋭く切り取られている。なんでもない風景を切り取って俳句にすることは難しい。切り取られた瞬間が偶然にも「詩」となるのはまさに奇跡である。舟津という看護婦の名は偶然得られたもの。氷が蹴られたものであることも、拾うのが素手であることも何でもないことだが、書かれてみるとそれぞれの動きも感覚も必然に思えてくる。先入観に支配された我々がこういう偶然を手にするのは意図しても難しい。場面に演出を加えてもその段階で「効果」を謀るからおよそ過去の堅実な「部品」や「組み合わせ」を用いることになる。こういう句を生み出せる方法は三つある。一つ目は自分が否応もなく異常な状態に置かれること。例えば病気末期の状況。二つ目は精神に異常をきたすこと。三つ目は先入観を捨て去って、初めて出会ったものを見るようにいつもの風景を見られること。藤の花の美しさを詠むのではなく、活けた藤の花房と畳との距離を詠んだ子規は一つ目のタイプ。病状が子規をして視覚に固執せしめた。この句の作者は二つ目のタイプ。多摩の精神病院で四一歳の生涯を終えている。両者を望まねば三つ目のタイプになるしかないが、そんな天才はいまだに知らない。「写生」とは恐ろしいほど難しい方法である。「俳句研究」(1977年8月号)所載。(今井 聖)


January 0912009

 陸沈み寒の漣ただ一度

                           齋藤愼爾

には(くが)のルビあり。陸という表現からは、満潮によって一時的に隠れた大地というより、「蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男」のような太古への思いや天変地異の未来予言を思うのが作者の意図のような気がする。人類の歴史が始まる何万年も前、あるいは人類などというものがとうの昔に死に絶えた頃、陸地が火山噴火か何かの鳴動でぐいと海中に沈み、そのあと細やかな波が一度来たきりという風景。埴谷雄高のエッセーの中に、人類が死に絶えたあとの映画館の映写機が風のせいでカラカラと回り出し、誰もいない客席に向かって画像が映し出されるという場面があった。時間というもの、生ということについて考えさせられるシーンである。しかし、僕は、いったんそういう無限の時への思いを解したあとで、もう一度、日常的な潮の干満の映像に戻りたい。どんなに遥かな思いも、目に見える日常の細部から発しているという順序を踏むことが、俳句の特性だと思うからである。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


January 1312009

 サーカスの去りたる轍氷りけり

                           日原 傳

郷の静岡には毎年お正月にサーカスが来ていた。「象がいるから雪の降らない静岡にいるんだ」などと、勝手に思い込んでいた節もあるので実際毎年必ず来ていたのかどうか定かではないが、サーカスのテントは見るたび寒風のなかにあった。冬休みが終わり、三学期が始まり、学校の行き帰りに大きなテントを目にしていたが、実際に連れて行ってもらったかどうかは曖昧だ。さらにトラックの行列や設営のあれこれは見ているのに、引き上げるトラックを見かけた記憶はなく、いつもある日突然拭ったような空間がごろり放り出されるように広がって、ああ、いなくなったのだ、と思う。掲句はさまざまな年代がサーカスに抱く、それぞれの複雑な思いを幾筋もの轍に込めている。そしてわたしも、どうして「行きたい」と言えなかったのだろう、と大きな空地になってから思うのだった。〈花の名を魚に与へてあたたかし〉〈伝言を巫女は菊師にささやきぬ〉『此君』(2008)所収。書名「此君(しくん)」は竹の異称。(土肥あき子)


July 2472011

 地下深き駅構内の氷旗

                           福田甲子雄

の句をはじめて読んだ時には、東京駅近くの地下街を思い出しました。でも句は、「駅構内の」と明確に言っています。勝手に読み違えていたのに、なんだか抱いていた印象が失われてしまったようで、さびしくなります。でも、読み違えを正してから読みなおしてみても、やはり印象の深い句に違いはありません。この句の魅力は、物が、当然あるべき場所ではないところにある、その意外性にあります。氷旗といえば、炎天下の道に、入道雲の盛り上がった空に向かって立っているのが普通です。しかしこの句では、空もない、風もない、強い日差しもない場所に、ただ立てられているというのです。視覚的な逆説、とでも言えるでしょうか。もちろん通りすがりに構内の氷旗を見た人の頭の中には、そこから大きな夏の空が広がってきてはいるのです。この句を読んだ人たちの想像の中にも、きちんと夏雲が盛り上がってきているように。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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