December 31121999

 大年の富士見てくらす隠居かな

                           池西言水

年の発音は「おおとし」または「おおどし」とも。我らが「余白句会」のメンバーである多田道太郎さんの新著『新選俳句歳時記』(潮出版社)でのコメントを引いておく。「江戸時代のご隠居さまはゆったり、のんびりしていたんやな。師走ということで先生まで走らせる世の中になってから、老人も走りださないといかんような気分。『大年(「おおみそか」のルビあり・清水注)』の夜はとりわけ足もとにご注意を。富士山に見とれてばかりいる訳には参りません」。多田さん独特の語り口は、いつも魅力的だ。ただ、句での「大年」は「見てくらす」というのだから、大晦日というよりも、師走月の意だろう。江戸期の人が隠居生活に入ったのは、多くが四十歳代だった。いまでは信じられないような若さだが、人生五十年時代とあっては、四十代はもはや晩年だったのである。当時の結婚年齢も早くて、二十歳になっても結婚しない女性には「二十歳婆あ」という陰口もきかれたほどという。いまどきの「おばさん」呼ばわりよりも痛烈だ。とにかく、世の中は変わってしまった。除夜の鐘ですら、百八つとは限らなくなっている。ま、現代人の煩悩の数がそれだけ増えてきたと思えば腹も立たないが、いっそのこと、今夜は景気よく2000回も打ち鳴らしちゃったらどうだろうか。やりかね(鐘)ない寺も、ありそうだけれど……。では、よいお年をお迎えくださいますように。せめて、富士山の夢でも見ることにしましょうか。(清水哲男)




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