December 30121999

 水仙が捩れて女はしりをり

                           小川双々子

月用の花として、いま盛んに売られている水仙。可憐な雰囲気だが、切り花として持ち歩くには少々厄介だ。すぐにポキッと折れそうな感じだし、「水仙やたばねし花のそむきあひ」(星野立子)と、あまりお行儀がよろしくない。それがこともあろうに、水仙の花束を持って走っている女性がいるとなったら、これはもうただならぬ気配だ。師も走るという季節(句は年末を指してはいないが)ではあるけれど、いつにせよ、花を持った人の走る姿は確実に異様に写るだろう。このときに作者は、捩(ねじ)れている水仙の姿を、その女性と一体化している。実際は花が捩れているのだが、女性その人もまた水仙のように捩れていると……。双々子には他に「女体捩れ捩れる雪の降る天は」があり、女性の身体と「捩れ」は感覚的に自然に結びついているようだ。もちろん、女性を貶しているのでもなく蔑視しているのでもない、念のため。キリスト者だから、おそらくは聖母マリア像にも、同様な「捩れ」を感じているはずである。誰にでもそれぞれに固有に備わっている特殊な感覚の世界があり、そのなかから私たちは一生抜け出すことはできない。『小川双々子全句集』(1991)所収。(清水哲男)




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