December 27121999

 懐中手新年号をふところに

                           永井龍男

語は「懐中手(懐手・ふところで)」。和服姿である。文学青年の野心が彷彿としてくる句だ。以下は、作者である小説家・永井龍男の回想である。「まことに独り合点な句だが、捨て難かった。昭和十年頃までの綜合雑誌『中央公論』『改造』、文芸雑誌の『新小説』『新潮』『文芸』の新年特別号は、創作欄に時の大家中堅の顔を揃え、時には清新な新進を加えて実にけんらんたるものがあった。自分も何年か後には、新年号の目次に名を連ねてと夢をいだいたのは、私という一文学青年ばかりではあるまい。そのような若い日の姿が、ある日よみがえってきた」。現代の若者の胸中には、もはやこのような野心のかたちは存在しないだろう。私が若かったころは、まだ匂いくらいは残っていた。それこそ「文芸」の編集者時代(1960年代)には、新年号の創作欄に綺羅星のように大家中堅の名前を載せるために、みんなして走り回ったものだった。雑誌の発売日にライバル誌の目次を見て、「勝った、負けた」と騒いだのも懐しい思い出である。したがって、必然的に二月号は新進特集などでお茶を濁すことになり(失礼)、製本が終わったところで正月休みとなるのだった。『文壇句会今昔・東門居句手帖』(1972)所収。(清水哲男)




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