December 22121999

 立ちどまり顔を上げたる冬至かな

                           草間時彦

がラジオ局のスタジオは、西向きだ。毎年この季節になると、低く運行する太陽の光が、まともにさしこんできて眩しい。本日「冬至」は、北半球での太陽の高度がもっとも低くなるので、眩しさも最高となる。そんなふうに「冬至」を感じる人間もいるかと思えば、作者のように「もう日が暮れていくのか」と立ちどまって西の空を眺めやり、「そういえば……」と納得する人もいる。どうということもない所作ではあるが、時計にかかわらぬ時間認識の味とは、なべてこういうものだろう。この句をさして「飽きがこない」と言った人がいた。飽きがこないのは、この時間認識が、生きとし生けるもの本来のそれであるからだ。時計といえば、放送局には腕時計を嫌う人間が意外に多い。それでなくとも分秒に追いまくられる仕事なので、自分の腕にまでわざわざ分秒を表示したくはないということである。そういう立場から読むと、この句の抒情性はさらに胸の奥にまで染み入ってくるはずだ。それはそれとして、今日の東京地方の日出時刻は6時47分、日入は16時32分。野暮だったかな。月は真ん丸。『朝粥』(1978)所収。(清水哲男)




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