December 17121999

 遠火事や窓の拭き残しが浮いて

                           松永典子

防車のサイレンの音が聞こえてきた。火事である。どこだろうか。こういうときには、誰だって耳を澄ますのと同時に、サイレンの音のする方角を見る。その方角に窓がなければ、方角に近い窓を開けて首を伸ばしたりする。幸いにして火事は遠かったようだが、方角は作者の部屋の窓のそれと一致していた。遠火事にひとまず安堵したまではよかったのだけれど、今度は一瞬凝視した窓の汚れが目についてしまったという構図だ。火事さえなければ、気にならなかった汚れだったかもしれない。ちゃんと拭いたつもりが、拭き残されていた汚れ。火事のことなど忘れ去って、今度は窓の汚れに心を奪われている……。日常的な生活のなかでの感情と感覚のありどころは、このように次から次へと切り替わっていくのだということ。そのあたりの機微を、非常に巧みに捉えた句だと思う。昔の共同体ならば、半鐘がジャンと鳴っただけで、遠くでも近くでも心は火事に奪われた。だが、現代の心は、遠ければ、すぐに別の次元に心が飛んでしまう。作者に時代風刺のつもりはあるまいが、昔の人にはそう読まれるかもしれない。『木の言葉から』(1999)所収。(清水哲男)




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