December 16121999

 縄綯ひの両手さしあぐ影法師も

                           木附沢麦青

の農家では、長い冬の期間中に藁(わら)仕事に励んだ。「縄綯い(なわない)」も、俵編みや草履編みなどとともに大切な仕事だった。句は、日当たりのよい庭先での光景だろう。綯っているうちに肩がこってきたので、両手を宙に差し上げた瞬間のスナップである。なべて藁仕事は単調に見え、慣れでこなしているかに見えるけれど、あれで案外神経を使う仕事なのだ。気を抜くと、すぐに製品がヤワになってしまう。だから、身体力学的な理由だけからではなく、ひどく肩がこる。女性の毛糸編みにも通ずる話であるが、いかなベテランといえども、慣れによる労力の節約度はタカがしれているのであって、どうしても神経的に肩がこってしまうのだ。そんな農民の背伸びの場面で、影法師を道づれにした発想は面白い。暢気(のんき)なように見えて、当人はちっとも暢気ではない。肩凝りも、いつもの二倍というわけか。同時に、句は縄綯うという一人仕事の寂しさをも告げている。影法師がくっきりとしているだけに、余計に「ひとりぼっち」の臨場感が際立って写る。(清水哲男)




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