December 13121999

 雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び

                           加藤楸邨

閑たる雪の夜。ひとり寝ていた子供が、急に泣き出した。夢でも見たのだろう。じきに泣きやむさ、立っていくこともない。だが、なかなか泣きやまない。気になって、泣き声を聞いているうちに、なんだかいつもと違う声に感じられてきた。それは父や母に来てくれとうながしているのではなく、そんな日常性を越えて、もっと原初的な「はるかなもの」を呼んでいるかのような声だった。泣いているのは自分の子供には違いないけれど、その子供の声は「類としての人間」を体現しているようなそれであったと言うのである。ここで楸邨は、人が人としてあることの根源的な寂しさを語ろうとしている。それを、人間の大人が組み立てた社会には無縁な子供の泣き声を梃子にして、このように書き上げたというわけだ。生物として本能的に生きている子供の、いや「類としての人間」の、その本能に触れた衝撃。静かな雪の夜ならではの「発見」と言うべきだろう。破調にして字余り。「はるかなもの」を提示するためには、定型のなかでちんまりと座っているわけにはいかなかったのである。『起伏』(1949)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます